TADANORI YOKOO / 横尾忠則 俗悪な螺旋としての神聖
「ひとつの修羅 一人のコスモス」として 横尾忠則が創り出してきた“平面上の宇宙《俗悪な神聖》”には
驚くことに彼岸と此岸の区別がない。
彼は反・宇宙と宇宙そのものを戴冠/帯電したアナーキックな《紙》である。
35年以上 彼の仕事を見てきたが そう言うしかない。
横尾忠則は「模倣や自己模倣」が 腐敗として作用しなかった稀な人物である。
多分それは通常の意味での“自己”が無いからだろう。
彼には芸術の荒野も反芸術の砂漠も関係なかった。
商業美術と純粋芸術の差もさほど関係なかった。
まるで白痴の様に 特権的な素直さだけが彼を律してきた。
観る見詰めることに 最も大切な要素は 嬰児の如き 死体の如き 無私性である。
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いつの間にか 知らず知らず横尾忠則を葛飾北斎や棟方志功 岡本太郎や手塚治虫と重ねて見ている自分を見付けて苦笑する。
卑俗卑近と高次の精神性を併せ持ち 土俗の靈性から遊離しなかった点でも 若い時から最晩年まで創作意欲と力量に衰えが無く 沢山の仕事を殘した点でもまったく共通するのだが・・・
しかも 依然として作品群は高い水準を保ち 藝術のアナーキズムと融通無碍性は 寧ろ深まっている。
百万塔陀羅尼経とグーテンベルグ印刷術以来の紙の印刷物に於ける“最後の輝き”をこの人物は 体現し続けているのかもしれない。
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◎今拙宅では第何次目かの忠則ブームが進行中である(笑)。経過は追って報告したい。
2003320 昨日の朝メールで注文したサイン入り展覧会カタログ『森羅万象』と『SELETED POSTERS 116』サインTシャツなど午前九時に届いた。殆ど24時間と少し。息子さんの英さんの挨拶を手書きした絵葉書も同封されていた。 “ART PLANET Y”の素早さとやる気に感動した。すっかりミーハーな私である。
2003331 ネットとFAX 〒・宅配便をフルに駆使した蒐集の成果が続々と集結中。今日到着したのは『横尾忠則グラフィック大全』サイン入り。数ある横尾本の中でも難物中の難物だ。
2003414 昨日届いた川崎市岡本太郎美術館の「万歳七唱/岡本太郎の鬼子たち」展のB1とB2各一枚で今回蒐集のポスターが合計8枚になった。
この際だから更に大量のポスター取得を目指すか熟慮中・・・(笑)
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↓面白いサイトが消えてしまったのでオフィシャル。