ロケットや航空機用エンジンを中心とする軍需産業としてのRolls-Royce plcは 外国に買収されず英国に留まっているのだが ロールスロイス・モーターカーズがドイツのメーカーになったのには些かの感慨がある。
ところで アメリカはマサチューセッツ州スプリングフィールドに ロールスロイスの製造工場があったことを知る人は 意外に少ない。
1920年にロールスロイスUSA工場は シルバーゴーストのノックダウンから作業を始めた。
やがて1925年からはファンタムⅠの本格製造を開始する。
ジャズエイジ華やかな「グレートギャッツビー」の時代。
デューセンバーグやイスパノスイザに対抗するスポーティな高性能車をアメリカのコーチビルダーの協力で作り出そうとしたわけだ。
しかし デューシーのようなエグゾーストパイプを剥き出しにした「マッスルカー」へのアメリカ人の偏愛と ビリオネーア達の愛国精神は思ったよりも強かったようだ・・・
メイドインUSAのファンタムⅠは1931年頃まで作られ続けた筈だ。
時代は降って やはり長くは続かなかったローライのシンガポール工場や ライカのカナダ工場と同じく できれば本国工場製が望ましいとするファンの方が多かった。
しかし 斜陽帝國/英国にもそんな輝かしい時代があったのだ・・・・
今回あれこれと検索していたら パルテノン・グリルと並ぶ RRの象徴 鼻先に燦然と輝く「スピリット・オブ・エクスタシー」が 売りに出ていた。
1911年製造で220㌦ ・・・・三流野球選手のサインボールですら もう少し高い・・・
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何故か僕は アメリカ製のロールスロイスと巴里のアメリカ人を一緒に思い浮かべてしまう。
ロスト・ゼネレーション とりわけ ジェラルド・マーフィーを。
トランス・アトランティーク・モダン と呼ばれる‘交換留学’の時代を。
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↓これが米国製造のファンタムⅠ。