『チャー坊遺稿集 1950ー1994』

村八分」のチャー坊こと柴田和志の遺稿集が昨年の暮れにひっそりと出た。

それを知ってAmazonでは取り寄せに時間が掛かるようなので

直接 飛鳥新社に注文した。

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電話した翌朝 たまたまエリー・フォールの『古代美術』を読んでいる時に届いた。思っていたより小型のしかし厚みのある変型本。造本は聖書を模しているようだ。

内容は

実際に唱われたものや未発表のものを含めた詩稿が中心・・・

それと子供時代から晩年に至るまでの写真。ある時期の彼しか印象になかったから すこし意外な感じも受ける・・・

フォールを 中断し

二時間ほど掛けて『遺稿集』を精読した。

物思う人は誰でも 自分の中に「廃墟」を見出すものだが チャー坊のそれは 他人より大きかった。 というよりも彼自身が 自分の中の廃墟性に 惹かれ「恋」していった。

〈新時代のナルシス〉の誕生 或いは〈ナルシッソスの新解釈〉である。

彼は 夢見る廃墟となった。

廃墟の夢が 

廃墟の謡う夢が

ブルーズでありロックだった。

ボクに言わせると

“空虚な永劫の中に宙づりに輝く‘月’を戀うてロックを歌う 夢見る廃墟”

それが チャー坊だった。

この遺稿集を読むとそう思う。

アシッドやその他の薬物は単なるチケットでしかあり得なかった。

しかしドラッグは やがて「乗車券」以上のものに成長していった。

簡単に還れるはずの 帰り道が 次第に嶮しいものになっていく。

想う以上に 谷は深くなっていっただろう。

彼は 深淵の存在を知る。

舐めていたはずの 人間や世間 世界以上の怖さを 

自分の中に見る

  

    自分が 思うようにならない・・・・・・

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 拙劣であれ 虚弱であれ 我等が同時代を生きた 戦友。

        昏れ 睡れ 廃墟の祖たる

           月に 還りて 

             昏れ

              ・

         昏れ 夢よ 鏡も観ずに 

             鏡の中に

             睡れ

              ・

             睡れ

              

            一期の夢よ

         

        爛れし透明 虐殺された純情よ

              

 見付かっただろう 永遠が・・・溶け合う 影と死の海が・・・・

〈エリー・フォールの『古代史』とは映画『気狂いピエロ』でジャン・ポール・ベルモンド扮する主人公フェルディナン・グリフォンが 読んでいた本です。〉この本の訳注に 【観念力/イデ・フォース】なる極めて興味深い概念が説明されていた・・・

 チャー坊の晩年の(栖家)にランボーの写真が額に入れられ飾ってあった・・・事を知る。

(本書中にその写真があった)

ゴッホ ランボー 聖書 グレゴリオ聖歌・・・

彼が最期まで 惹かれていたモノ 通俗的と言えばそれまでだが・・

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内容は↓を見て欲しい。