Isamu Noguchi / “ 汲めよ一碗の茶 ”

汲めよ 一碗の茶を

呑めよ 一掬の宇宙を

また 逢うことも あるだろう

光となって 

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一瞬の 光閃 即ち 石よ。

               朝光伴鳥即興頌歌。

1953年に大下正男の美術出版社から出た『NOGUCHI』という本がある。

序文/瀧口修造 レイアウト/亀倉雄策 写真/土門拳 他。 印刷は半七写真工業 何れも一つの時代を創りだした人たちの手になる。

総ページ数100頁程だからさほど厚い本ではないが英文と邦文が併記され凡ての点に神経の行き届いた大判の見事な本だ。

新婚時代だから 大家である魯山人や新妻 李香蘭との写真もあれば 毛筆の「野口勇」という文字まで披露している。

イサム・野口が最も明るく愉しかっただろう時代の 幸福感が漂い 未来への希望が色濃く感じられる 特別の一冊だ。

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1951年から岐阜の尾関次七商店で作られ始めた「AKARI」シリーズの写真もロゴマークや図面と共に載っている。    

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慶応大学万来舎に リーダーズダイジェスト庭園や 広島の橋 と共に 

ヒロシマ原爆慰霊碑の構想と模型》が目を惹く。

ここで多くを語る気はないが この計画が流れた背景には 今も変わらない 日本人の狭量で厭なモノが流れていることは確かだ。

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が、この本で最も多くの部分を割いているのが 日本各地の土や釉薬を使った セラミックによる彫刻作品/立体造形だ。

瀬戸

唐津 

信楽

備前

笠間

伊賀釉

織部 

鐵釉

その時から半世紀が経ちイサム・ノグチも世を去った今 この美しい本をくり返し眺めて 強く感じるのは 彼の 戦前に父を訪ねた際 幼い自分と母に決して優しくも暖かくもなかった母国ならぬ 父の国/日本への 母の国との戦に敗れた日本という半祖国への  慈悲心にも似た寛容と 赦免する気持ちだ。

土地と植物 自然と精霊 土や石 樹木や大気 その場所で燃える炎に対する 愛惜の感情かもしれない・・・それら全体を 恐らく知者は【風土】と呼ぶのだ。

ボクの考えでは人類なき世界にも 風土は成立する。

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ノグチの《土の時代》と後世の研究者は呼ぶかもしれない。

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その頃1950年代初頭に 使わせて貰っていた魯山人の工房で ある一つの《Teacup》のプロトタイプが生まれた。 

それを頭固く紅茶碗と訳すべきか 或いは単に茶碗でいいのか。

 2002年になって そのティーカップのプロトタイプが

スイスのVitra Design Museum によって初めて製品化されることになった。

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このISAMU NOGUCHIの作品としては世界一 つまり宇宙一小さな彼の立体造形を いま掌の上で 愉しんでいる。

       TEA の CUP。

     

    実に イサム・ノグチ だ。

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museum shopでTeacupの画像を見られます。

日本ではhh.styleでも扱っているようです。