蒐書/或いは本という物質の神秘性に関する一考察

《ぼくが本を好きなんじゃない。本がぼくを好きなのだ。》

本を意識的に集めようとする事と

本が自ら集まってくる事の間には無限に近い階梯がある。

しかしその差異を理解し生命の跳躍とでも云うべき

非言語的信仰転回を為した者のみが

書物の仲間として書物に認められ

真の蒐書/書物・見者となる。

それは本に限らず蒐集家なら誰でも理解している筈の事だ。

《物質は夢見ない》

そう宣言したのはバウハウスの同志達であった。

しかしこれはそうあって欲しいとの悲鳴のような願いであり

霊鎮めの呪術的行為だった。

あのパウル・クレーの造った

人形を視よ!あれの何処が夢を見ていないのか。

形にされた夢こそ

人形であり

綴じられた祷りこそ

書籍なのだ。

バウハウスの思想は

時として騒がしい物質/物体を

単なる素材/マテリアルに還元したい

そうしないと《デザイン》が成立しない。

これが基本となった。

バウハウスはもう一つのソビエト・ロシアであり

視覚の革命評議会である。

ダン・デザインの根底に流れるのは

18.19世紀以来の

「20世紀の唯物的思想」であり

人間のみが形態を生み出すべきだという

人間至上主義

人類中心主義

人類的中華思想であった。

その意味で最初からモダン・デザインは

狭量な天体/冠を

十字架の如く

背負っている。

ポスト・モダニズムの思想が生まれたのは

その辺りの不備を衝いての事。

わたくしはバウハウスとモダン・デザインを

全否定も全肯定もしない。

但し神秘は巌として存在する。

疑う者は

ベンヴェヌート・チェッリーニの『チェッリーニ自伝』でも

イグナチオ・デ・ロヨラの自叙伝『ある巡礼者の物語』でも

或いは柳宗悦の『蒐集物語』でも読むがいい。

世界は神秘に充ち満ちている。

神秘の海

神秘の丘の上に世界という名の塔は立っている。

若者よ 前途有為な若者たちよ

例えば一つの冒険物語として『チェッリーニ自伝』を読むといい。

A.デュマの『厳窟王』やJ.ベルヌの『海底二万哩』より面白いかもしれない。

かのショーペンハウエルも申すように

人生の時間と経済は限られている。

良い本を選べ、良い本に見付けられるようになれ。

誤りではない、良書に善本に好かれる人間になれ。

自我の檻から抜け出る算段を始めなさい。

個の独房、私制の牢獄から脱出を計れ。

その為の工具/道具、灯り、魂の麺麭が、本だ。

質の悪い工具でいい仕事ができる筈はない。

選べ。撰べ、悩みつつ直裁に選べ。

微少なコレクションがある。

決して古い物でも稀覯な物でもない。

トロッキー著/藤井一行訳

『裏切られた革命』に始まり

『文学と革命』上・下

ロシア革命史』一から五

『わが生涯』上・下

に至る10冊の岩波文庫

これを1992年から2001年まで

9年かけて各初版発行時に入手し

揃えた。

愉しかった。

岩波文庫の色で唯一美しい

灰色の背中が10冊揃っている。

此の愉しさを理解できない人間には

蒐書は無理だろう(笑)。

稀覯書の方が本当は手に入れやすいのです。

朋友よ、時間の流れと空間の把握を我が物とせよ!

〈百。〉