『万暦赤絵』志賀直哉
「ある時、私は梅原龍三郎の家で万暦の花瓶を見せられた。
もちろん、本能寺所蔵の品とは比較にならなかったが、
美しいものに思った。
幾つにも破れたのを漆で修繕してある。
柳宗悦の説では万暦と云えないこともないが、と疑問にしていたそうだ。
梅原自身も感じが少し弱いことを認めていた。
梅原はその花瓶でばらの美しい絵を作った。
その絵は現在私の書斎にかけてある。」
昭和八年(1933)に書かれたこの短篇は
白樺グループの交遊と志賀の骨董趣味、
日常の暮しぶりを描き、それに犬が絡む面白い話だ。
《志賀家の皿小鉢》という真に面白い短文がある。
冒頭と一部を書き写してみよう。
「志賀家の食器類には、がっしりした実用的なものが多かった。バーナード・リーチの紅茶茶碗、浜田庄司の砂糖壺、黒田辰秋のパン切りナイフ・・、といふ風に思ひ出すまま挙げていくと、名工の名品ばかり揃へてあったやうな印象を人に与へるかも知れないが、実情は少し違ふ。友達贔屓の先生が、友人の作った、使ひ勝手のいい頑丈な品々を、身辺に置いて長く愛用してゐたに過ぎない。」
さて本当に面白いのはこれから、
「『あした柳が来るんでね、柳がいやな顔をするやうに、わざとかういう物を並べて置くんだ』
と、街の瀬戸物屋で買ってきた土瓶や茶碗を取り出してをられたことがある。」
これは戦後熱海の山荘に暮らしていたころの逸話。
此処に書き写したのは文章全体の四分の一ほどだが
感じは分かると思う。
『図書』誌の扉に載ったこの文章は何度読んでも愉しい。
とりわけ柳宗悦の仕事全体を識るものには
堪えられない面白さがジワッと湧くだろう(笑。
天下無双の知識人柳宗悦とあの「神様」志賀直哉が少年に還っている。
あの人達は生涯いい意味での少年性を喪わなかった。
ところで小説家も流石に志賀直哉級になると
全集の別巻で『志賀直哉宛書簡』なんて物が編まれる。
そこから若き日の柳の出した私箋を拾ってみよう。
「僕の君に上げる手紙の冒頭は、いつでも、御無沙汰罪、赦免請求の文句だけれども、今回の手紙も同じ運命の裡に書き始められたと思って、くれ給ひ、」
明治39年9月11日の日付を持つ是を書いた時
柳宗悦は
17歳。
〈白樺〉はいいなァ!