『食卓にて、夏の終わりに』/駒井哲郎と‥

駒井哲郎の名を最初に知ったのは

10代も終わりに近付いた晩い夏だった。

手元に今もある『季刊版画5 秋』1969

が其れを証している。

「一言に言へば、彼の顔貌は、写楽の描く役者の顔そのものである。」

作家訪問で川合昭三は

青柳瑞穂の文章を冒頭からやや長めに引用している。

先人に倣い、つづけてみよう。

「苦みばしった顔ぜんたいはもとより、

ことに、ぎょろっとした眼、

長い反りぎみの口、ややしゃくれた顎、……

おそらく駒井君の写真といへども、

写楽筆ほど彼の真相を伝へはしまいと思ふ。」

    ・     ・       ・     ・

その面貌にやや惹かれ、

その小特集を熟読し、

その作品写真をくりかえし繰り返し視た。

    ・                ・

  駒井の作品はどれも

かなり濃厚な幻想幻影幻覚を描いている。

《夢と現実、

私はそのどちらが本当の実在なのかいまだに解らない。

しかし、私が絵を描き始めたとき、

私が何故に描き始めたかということを自問自答してみると、

それは結局、

夢こそ現実であればよいと言う願望から出発している

ように思われる。》                 ・

同様な思想を抱いて鬱々としている

やや過剰に育った少年が虜にならないワケがない。

以来、駒井は僕にとって重要な作家となった。

その後                      ・

年長の版画趣味友人ともいうべき新島淳良さんの家で

彼の友だち/造反教師仲間でもあった安東次男と

駒井のオリジナル版画作品による詩画集

『人それを呼んで反歌という』や  

『九つの夢から』

或いは

【Composition de la Nuit】

を幾度も机の上で心ゆくまで視た。

    ・   ・

駒井哲郎は

あの、戦後そのものを定着したような『束の間の幻影』と

20世紀日本の観念/想念/思念を記録した詩画集の傑作

『人それを呼んで反歌という』

を創り出した大版画家だった。

(版画を油彩や水彩の代用や普及品のように

 思っている人がいるようだけど

 藝術にとってそれほど大きな勘違いはない。

[版と型の美]これは巨きな事。

 自力と他力の融合した世界にしか

 眞の藝術は成立しないからだ。)

     ・  ・

熱く永かった今年の夏も終わりに近付いた。

       ・

キーワード/『食卓にて、夏の終わりに』は

詩画集『人それを呼んで……』の中のひとつの腐蝕銅版畫 ・

一見何気ない

食卓上の麺麭篭と葡萄酒の瓶を描きながら 

幻想なき幻視と、日常の中の一瞬の幻覚を

版画を通して[世界]を凝視する者に与える

最も惹かれる高く深く静謐な作品だ。

最期にもう一度

駒井の言葉を引用して終わらせよう。           

        ・

《一瞬、静謐な空気が脳の裡を通過して、

いわば幻影のようなものをかいま見るのである。》

われらが反世界の寵児にして旗手駒井氏は

あの端正な面貌、瀟洒な言の葉の趣味からは

到底想像できないほど酒癖が悪かったそうである。

    異議なし!とエールを送ろう。

駒井哲郎の作品を見ることのできるサイトが何処にもない 

福原コレクションの寄贈を受けた世田谷美術館にもない

有るとしてもお金臭い手で駒井作品を弄ぶ画商のだけ

その・・を籠めて彼の親友だった安東次男の詩

『人それを呼んで反歌という』を贈る。

夏の終わりに言葉をどうぞ!