「終焉」を待ちながら 。。 グローバルな悲喜劇として
ここ数ヶ月
晦冥・奸凶に唾を吐きかけるような
「過激な本」に打ち込んでいる
ウェンディ・ブラウン
『いかにして民主主義は失われていくのか:新自由主義の見えざる攻撃』
あたりからだろうか
フランコ・ベラルディ
『大量殺人のダークヒーロー:なぜ若者は銃乱射や自爆テロに走るのか』
ジェームズ・C.スコット
『実践 日々のアナキズム:世界に抗う土着の秩序の作り方』
『アメリカンドリームの終わり』
『資本主義の終焉:資本の17の矛盾とグローバル経済の未来』
ヴォルフガング・シュトレーク
『資本主義はどう終わるのか』
あるいは
アレクセイ・ユルチャク
も 「過激」シリーズに含めていいかもしれない
確かに
チョムスキーやハーヴェイ
現在
信頼せざるを得ない高度な人々が
もはや
「明るいことば」を述べられない
つまり
残念ながら
イヴァン・イリイチ
ミヒャエル・エンデ など
賢者を超えた存在
と同じ地平に辿り着いている
明晰な聖人たちが予言した「虚無世界」。。
の完璧なまでの顕現
ふと
鶴見俊輔が2007年に予言した
《 断じて日本は終わる。
自分の中の目利きによると 未来はない。》
懐かしく想う 。。。
世界および人類は
(意図的に無視する愚鈍な悪党以外)
すでに
最後の曲がり角を超え
世界は
バニシングポイントに近づいている
外的環境の汚染と呼応してすすむ
精神の荒廃
これはもうどうしようもない段階
『資本主義の終焉』から
デヴィッド・ハーヴェイの言葉を引いておこう
《 資本はおそらく永遠に機能しつづけることが可能である。ただし、
その過程で、斬新的な土壌の悪化や大衆の貧困化が誘発され、社会階級間
の不平等も劇的に拡大し、また人類の大多数が非人間化されるだろう。
そしてこのような状態を維持するために、個人の人間的開花の可能性は
ますます抑圧的かつ専制的に否定されるだろう(別言すれば、全体主義警察国家
による監視体制や軍事管理社会は強化されるだろうし、われわれが主に現在経験
しつつあるような全体主義民主主義も激化するだろう。》
第Ⅲ部 「資本にとって危険な矛盾 はじめに」 より
《 私は拙著『資本の〈謎〉』で次のように結論づけた。
資本主義はひとりでに崩壊することはない。それは打倒されなければならない。
資本蓄積はけっして停止することはない。それは止めなければならない。
資本家階級はけっしてその権力を自ら進んで放棄したりはしない。
それは奪い取らなければならない。
私は今でもこの意見にこだわっている。
そして他の人々もこれと同じ意見を貫くことが必要不可欠だと思う。》
第Ⅲ部 第17章 「人間性の疎外と反抗」より
さすがに度々フランツ・ファノンを引用して
ファノン同様「暴力を認める」と言い切った
腰と肝が座ったハーヴェイである 。。