忘れる前に 。。  寄生生物と地球のことなど

 晩年は 土方巽井筒俊彦

  ジョージ・ナカシマと柳宗悦 

    ボイス ゴダール 花森安治 

      谷川雁 や 宮澤賢治 etc. 

        彼らのことを考えつつ暮す予定だが

       それまで まだ時間がある 。。

 

  バリー・M・カッツ 高増春代訳 CCCメディアハウス刊

  『世界を変える「デザイン」の誕生 / シリコンバレーと工業デザインの歴史』 

  キャスリン・マコーリフ 西田美緒子訳 インターシフト刊

  『心を操る寄生生物 / 感情から文化・社会まで』  

 

   二冊とも図書館にリクエストした本

     五〇歳以降の蒐書と読書に関する基本原理を繰り返すと

      《 読むべき本は借りる 持つべき本は購う 》

        両冊は典型的な「読むべき本」であった

 

   『世界を変える「デザイン」の誕生』はシリコンバレーおよび

      パーソナルコンピュータの

       優れてコンパクトな歴史書である

         あるいは

      デザインギークにはたまらないトリビアルに満ちたマニア本

《 ハルトムット・エスリンガーはスノーホワイトへの取り組みをデザインコンペというよりも世界観の対立ととらえ、アメリカ人たちがこの問題をデザイン基準という狭い範囲でとらえているために行き詰まってしまっていると考えていた。実際には、もっとはるかに大きな問題だったのだ。

 「オリベッティにはデザイン基準などというものは存在しないが、デザイン哲学があった。ブラウンにはデザインの後ろに哲学があった。ソニーには仕事に対する哲学があった」  @139p  》  

《  ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州シュヴェービッシュ・グミュントにある、専門技術志向の強い芸術学校で教育を受けたエスリンガーは、バビロンの時代からバウハウスの合理・機能主義まで美術の基礎をしっかりと教え込まれていた。このような教育はアメリカの美術学校では極めて稀であり、アメリカの工学部のカリキュラムにももちろん含まれていない。そして最後の仕上げとして、ナチス以降のヨーロッパの冷戦構造の中でアメリカのポップカルチャーの洗礼も受けたエスリンガーは、親しみやすいコンセプトのデザインと反体制の姿勢を意識して打ち出すようになった。13歳のときにはジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』に感動し、その翌日にはバスに乗ってシュトゥットガルトにあるアメリカ軍基地まで出かけ、戦利品として「フルーツ・オブ・ザ・ルーム」のTシャツをもらって帰ってきたというエピソードもある彼である。 @140p  》

    周知のことかもしれないが

  フロッグデザインが「ドイツ連邦共和国」(Federal Repablic Of Germany )

     頭文字F R O G からできていることを知り

        微感動する / 笑。  

 20世紀のデザイン界に君臨してきたバウハウスのテーゼ「物質は夢みない」に反対の意を表明したのは「未来のデザイナーの役割は神秘的なゾーンをデザインすることだ」と述べた1990年代のエットーレ・ソットサスだった 

  この問題は

   「デザイン」の未来にとってかなり重要な命題を含んでいる

《 IDEO の最近の歴史を鑑みて、ティム・ブラウンは自身が受けた工業デザイン教育は、モノに主眼を置いていたと回想している。良いモノ、効率性が高いモノ、美しいモノ。確かにモノに終始していた。今はそれも変化し、工業デザインの未来に関して彼はこうコメントしている。

 「私たちは、確かに今でも機械というモノをデザインしているが、機械の中に住む亡霊もデザインするようになった」   @260p    》

          

    『心を操る寄生生物』

  不思議な感銘を受けた

《 研究者たちは参加者の便、わきの下、耳たぶのひだのうしろ、喉の奥、足指のあいだ、膣の内部、そのほか探針が届く限りの、あらゆる奥まった場所や隙間などから試料を採取した。それから微生物を培養し、遺伝物質をセグメントごとに分析した。さらにコンピューターを用いて分析結果から微生物相全体の規模を計算した ーー 私たちひとりひとりに住みついているウイルス、細菌、菌類、原生生物、その他すべての生物を合計した数を求めたのだ。最終的な集計の結果は一〇〇兆個を超え、人体のすべての細胞を合わせた数はそれより一桁少ない。微生物起源の遺伝物質の総量は、人間自身がもつ遺伝物質の一五〇倍にもなる。簡単に言えば、自分の九〇パーセントは、実は自分ではない。  @134p    》        

 《 自分たちの理論の適用範囲はもっと広がると確信したソーンヒルとフィンチャーは、寄生生物のホットゾーンでは性と衛生に関連する慣習に従う圧力が強まり、しきたりに逆らう人に不寛容な風潮が生まれると推論した。伝統が神聖化されて強制されることで、階層化社会が生まれる。人々は規則に従って権力に屈することに慣れ、反対意見を受け入れにくくなる。それは抑圧的な政権の樹立に適した条件だろう。  @276p  》   

《 たぶん私たち自身が、無限大の超巨大野獣に潜む生命体なのだ。私たちが宇宙と呼ぶものは、怪物のゴロゴロうなる腸につまったガスの一粒のあぶくにすぎない。だから私たちが宇宙の複雑さと目的を理解できないのは、大腸菌が人間を動かしている仕組みを想像できないのと同じであり、また大腸菌が人間の寿命と自分の寿命とを隔てる時間の広がりを理解できないのと同じことなのだ。  @286p   》

 

       これはまったく「自己内他力」とでも呼ぶべき

         「他力道」ではないか 。。

            微生物が源左のいう「親様」なのだ 

 

    先日 縁あって手に入れた柳宗悦1949年 鳥取放送局ラジオ講演

         を活版印刷にした

       鳥取民芸協会版『因幡の源左』を想う

     ほとんどの人が誤解して用いる批判形容としての「他力本願」

        都合よく子どもっぽいニッポン社会が推奨する

           努力と自力 自己責任

         それらは「自力道」はもちろん

           他力道の深遠とは何の関係もない        

       私見では

     シモーヌ・ヴェイユ後期思想の中核をなすのは

        「神秘道」であり「他力道」である

 

     それにしても

  この二冊が持っている明晰さと怜悧な正直さは

        現在の

   日本の科学技術者 科学ライターや学校教師たちが

     持っていない資質のように思われる

       それは

  人種環境歴史を含む

    教育システムに問題があるのか

      地政学および微生物問題なのか

        全体性なのか

   2011年3月11日以降

      この国の

     ほとんどの科学者とジャーナリストは

          単なる「社畜」として

        隠蔽を恥じない

     「虚偽の培養器」

   悪辣な政府権力の広報担当であることが実証されてしまった 。。。。