匙と靴下     Christofle or Hanes

 

明治二十一年のセントルイスに生まれ

   半世紀前のロンドンで死んだ ある高名すぎる詩人によれば

     「四月は最も残酷な月」だという

        その四月はおわった 。。。

            だが

           

          しかし

        でも でも

     至るところ 放射線が飛び交い 放射能が舞い散る この極東の小国では

         いまや一年中残酷きわまる時間が流れている 

              そう考えたほうがいい

            子どもや生まれたばかりの赤ん坊 

         生者だけでなく

      未来までもが浅く埋葬された残酷きわまる風土と精神の荒地

        それが 

          この国の無慈悲無道で苛酷すぎる日々の現実だ

                   ★

              五月も六月もすでに死んでいる 

            この衰亡した狂気の島嶼で死はすでに些事だ                

         匙と靴下 スプーンとソックス 

             あるいは Tシャツ

          ベトナム戦争のころアメリカ軍の軍用T シャツは

        下着一枚の性能にも命が掛かっているだけあって 

      綿糸も縫製も最高のクオリティを持っていた

    当時米兵が一枚のシャツを何回ランドリーに廻したか不明だが

   洗うほどしっとりと肌になじんだ 

     それは絹のシャツなんか目じゃない肌触りだった

      一時期はアメ横でたくさん買って愛用したが

         消耗品だけあってさすがにもう一枚もない

        それに次ぐクォリティが ヘインズのTシャツだった 

      首の後ろ側に細い紐が入っていてネックがあまり伸びなかった

        アメ横のオジさんたちは「ハンス」と呼んでいた 

      ビームスの萌芽期で シップスも三浦商店またはミウラ&サンズ だった時代 

            マクドナルド三越店もケントリ/KFC まだないころ

              アメリカは遠く ヨーロッパはさらに遠く 

                 輸入品は愉しかった

          Christofle & Hanes

              匙は銀匙 クリストフル

            まだ若かった家人がパリの蚤の市で手に入れた

          ルイ15世様式 マルリーシリーズのスターリン

   

        この大きなテーブルスプーンでタイカレーでも炒飯でも 何でも食べる

      買ってから四〇年近いから製造は一〇〇年も前だろう

     森於菟ではないけど 

       老いたカップルは これまでの記憶だけでも愉しめる

        ついでだから『耄碌寸前』で最も好きなコーダ部を引用しておこう

   《 老人は狂人の夢を見果てない。現実を忘れるどころか、この調子では死ですら越えて夢見そうである。       

    私は死を手なづけながら死に向かって一歩一歩近づいていこうと思う。

    若い時代には恐ろしい顔をして私をにらんでいた死も、次第に私に馴れ親しみはじめたようだ。

    私は自分がようやく握れた死の手綱を放して二度と苦しむことがないように

    耄碌の薄明かりに身をよこたえたいと思う。

    若者たちよ、諸君がみているものは人生ではない。

    それは諸君の生理であり、血であり、増殖する細胞なのだ。

    諸君は増殖する細胞を失った老人にとって死は夢の続きであり、

    望みうる唯一の生かもしれないと一度でも思ったことがあるだろうか。    

    若者よ、諸君は私に関係がなく、私は諸君に関係がない。私と諸君との間には言葉すら不要なのだ。》

      この文章は若い頃から好きだったけど いまでは珠玉の掌編として「古典」だ

  

          解剖学者 森於菟がこれを書いた年まであと五年ほど 。。。 

            爺さんになってからヘインズのソックスがとてもいい

         一〇〇回以上洗うとダラーッと伸びる でも穴は開かない 

        それからがとてもいい

       きわめて足いれが し易くなったヘインズのダラダラした古い綿ソックスを

        一ダースはあったのに

          二〇年も履いていたら一足になってしまった 

            冬もいいけど夏はあれに限るのだ

              ふと思い立ってネットで調べると中国製造だがヘインズ社の純正品で売られていた

                慎重に調べたが 

                  いま履いているのと同一と認定して 三足入りのパックを3パック購入した

                     伸びるのを愉しみに 次々と洗濯してもらう 。。。。

         食器でも銀器でも衣服でも

           器物には

            時間をかけ「育てる」愉しさがある

             それは 時空を共有して生きながら

               ある種の没入により

                 自我構造からも脱構築することを意味する 。。。

               他力と自力 どちらともつかない 空間

                    ふと 

                  「絶対他力」同様の境涯を目指した高度な知性 

                意図して若い最晩年を迎えたシモーヌ・ヴェイユを想う

             ヴェイユと賢治 あるいは O.ワイルド さらにサン•テックス 、、、

                 語りだせば キリがない 。。。。