象牙色の鹿皮を纏った吉田五十八

著作を通した建築家・吉田五十八との邂逅は三〇歳を少し超えたばかりだった

   若かったから臆面もなくこんな風に書き残している

吉田五十八氏の『饒舌抄』(新建築社)を読む。徒然草に通じる面白さ。吉田五十八という人はわかってらっしゃる方だ。》『狂書目録』より

         往時茫茫 。。。

                                            

    それから三〇年余り経った 一昨年の暮れ

       丸善の建築書コーナーで見かけた

   「20世紀名作住宅をめぐる旅 5」『吉田五十八自邸』を手にした     

       庭を見渡す広縁に

  フィン・ユールとニルス・ヴォッダーの傑作椅子 NV-45が複数脚 置かれていた 。。

     一人掛けが二脚 対面した位置にはきわめて珍しい二人掛けも置かれている 

       吉田五十八とフィン・ユールの思わぬ組み合わせにすっかり蠱惑されて

              購入を決定

    細心に読むと気がつきますが

       大磯のとなり神奈川県二宮町にある「旧吉田五十八自邸」は いま「大塚勝久・千代子夫妻」の所有である

     この本の刊行は二〇一四年十二月 おふたりは住宅数寄者としてまだ至福の時季でもあったろう 

         が 古人もいうように禍福は糾える縄 

       その後 大塚夫妻は 

     渦中のひと 娘との確執によりあまりにも有名になった

         大手輸入家具商「IDC大塚家具」創業経営者だったからこそ

     吉田五十八とNV-45という絶妙な組み合わせになったのだ 。。。

            ところで

        この『吉田五十八自邸』のなかにこんな文言があった

 《 私が白黒図版の『吉田五十八作品集』(新建築社、1980年)をもっていって頁を開いていたら、吉田夫人にその本じゃだめで

 すよ、と言われたんですね。没後最初に出た大判でカラーの豪華本を見なければいけない、その本は吉田が写真を選定し、作品も選定

 し、レイアウトした本だからというのですね。お金に糸目をつけずいいものを作ろうということで、白い鹿皮で装幀された12万円の限

 定500部の本が出版されたのですが、これを見ないと吉田の精神は分からないとおっしゃるんです。あとで見ると発行者も吉田初枝

 さんになっています。その本は結局買いました。 》 

    富永譲『吉田五十八自邸』ーー 歴史と創造 /「吉田夫人との対話 ーー 住宅の体験」の一節である

 

       この殺し文句を読んで

         凝り性であるぼくは やや時間が掛かっても鹿皮装の『吉田五十八作品集』を手に入れようと決心した

              念ずれば現ず

  

                     今年になって

         経年により

     本来の白がアイボリーとカフェオレブラウンのなかほどの色になった

           『吉田五十八作品集』が届いた

          内容 装幀ともに まことにおとなの趣味である

             この国がまだ優雅さと高尚さも残していた一九七六年三月二四日刊

                 明後日でちょうど四〇年 。。。

               思えば遠くへきたものよ

       十二の頃の『暮しの手帖』『自動車工学』『CARグラフィック』

        花森安治柳宗悦 ジョージ・ナカシマから吉田五十八まで 思えば遠くへきたものだ

          

      (いやキミは二、三歳からほとんど変わっていないという声が遙か遠く「セルフ」からある 。。)

                       ☆

               

        鹿皮の大型本のうえに昨日届いたタイプ孔版印刷の薄冊『谷川雁 ある工作者の死貌』を載せてみた

            孔版印刷つまり謄写版は手書きガリ版だけは残るが タイプ孔版は絶滅種だろう

               『球根栽培法』や『栄養分析表』と同じ地下出版の匂いがして

                    谷川雁には本当に似合っている

               

    副題「Ⅰ 未発表対談座談集」ノンブルが33まで打たれ奥付もなく一九六五年頃の出版物と推定されている

            造本から内容に至るまで これほど対照的なものはあまりない

              しかし まさに

        「物 買ってくる 自分 買ってくる」 

          「本 読んでいる 自分 読んでいる」 

       

             睡くなるような虚無のなか 

                春の陽光を浴びながら「二冊のあいだにあるものを」ぼんやり眺めている