夜が、明けたら  夜が、あけたら  よが、あけたら 。。

 

 払暁までは まだ四〇海里もある 午前二時半

   渇きに目が醒め 温泉水の冷たい麦茶をのむ

     ついでに「ロキソニン」を

       痛風の発作回避と炎症軽減に一錠。

           なかば意識的に

       二〇十一年三月十一日から 時間が止まったように 三百六十五日 毎日酒を飲んでいる

         慰藉か鎮魂か服喪か 憂さ晴らし 自暴自棄あるいは 虚無への供物 なのか

       昔からずっと 年間三百五十日は呑んでいたが 毎日ではなかった

      寝付かれないまま 

        横になっていると

            昭和の絶唱『夜が明けたら』がいつのまにか脳裡を訪っている

              靭くて閑かな浅川マキの声が 遠くちかく

           何度もなんども冥い中有でリフレインする 。。。

        夜が明けたら 夜が明けたら 夜が明けたら

           夜が明けたら 一番早い汽車に乗るから

           切符を用意してちょうだい

           私のために 一枚でいいからさ

           今夜でこの街とはさよならね

           わりといい街だったけどね

     

         石田善彦サンに誘われて

      彼女の家に行ったことを思いだす 六本木の小さな古いビルの何階かだった 

   『Rolling Stone』日本版の同僚だった石田さんがインタヴュー記事を書いた

      マキさんはとてもご機嫌で 

    美空ひばりの知られざる初期の名曲をレコードで聴かせてくれたり

      チャーシュー麺を出前でふたりに取ってくれたりした 

  

        あれは 一九七三年か 七四年 

           考えてみればまだ浅川マキも石田善彦も三〇歳をほんの少しこえたころで

             ぼくはウエスト26インチのLEEホワイトジーンズを穿く二〇代前半でしかなかった

         気がつくとふたりとももういない

     ぼくは生き残って まだ酒を飲んでいる

       佛教ニヒリズム老荘アナキズムを 肴にして 。。。。

          

             まいにちまいにち さけをのむ

           

                 きょむへのくもつとして

  

                    ささやかな供物として

             

                      ☆

                      

              《   酒は失せ、 波は酔ふた ‥‥

                  潮風の中に飛び立つ

 

                  いと深い姿が見えた ‥‥ 》

              中井久夫訳 ポール・ヴァレリー『失はれた酒』より