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ロンメル 中井久夫 ジョン・キーン :「戦争」: 引用の織物として

《 身の毛もよだつような恐ろしい夜が、一分、また一分と、ゆっくりと時を刻んでいく。真夜中すぎ雨は

 

 上がるが、その代わりに今度は、身を切るような冷たさの激しい風が吹き荒れる。これが濡れた装備のま

 ま座っていることを不可能にしてしまう。われわれは震えながら、燻り続ける火のまわりをぐるぐると足

 踏みする。ようやくあたりが明るくなり、一七九四高地まで登ることができるようになる。ほどなくして

 われわれは積雪地帯に入る。

 

  われわれが問題の高地に到着するころには、着ている服も背中の荷物もすでに凍りついてしまっている。

 気温が零度を下回っているのである。氷のように冷たい風が、深く雪の積もった一七九四高地の上に吹く。

 しかしいかんせん、自分たちが説明を受けたような陣地は存在しない。一〇人も入ればいっぱいになって

 しまうようなひどく小さな穴があるだけであり、それが電話通信部隊に場所を提供している。右手向

 こうでは約五〇頭の替え馬がいるが、寒さで震えている。われわれの到着直後、高地には吹雪が舞う。こ

 のとき、視界は数メートル以下になる。

  ゲスラー大尉は戦闘正面の指揮官に、高地のこの状況を説明したうえで、両中隊の退却を打診する。だ

 が、ゲスラー大尉は経験豊かなアルピニストであるが、その彼の抗議も聞きいれてもらえない。また、部

 隊を濡れた衣服を着せたまま、露営できる場所もなく、暖を取るための火もなく、温かい糧食さえない状

 態でほんの数時間でも吹雪のなかに待機させることは、凍傷や、他の 重篤な病気を確実に招くと軍医が

 警告するも、これもまた無視される。それどころか、一歩でも下がろうものなら軍法会議行きだ、という脅

 しが入るほどである。》

  エルヴィン・ロンメル歩兵は攻撃する』[第三部 ヴォージュ山脈陣地戦、一九一六年/スクルドゥーク峠]より 浜野喬士 訳

《 戦争中の指導層に愕然とするほど願望思考が行き渡っているのを実に多く発見する。しかも、

 彼らは願望思考に固執する。これは一般原則といってよい。これに比べれば、自己と家族の生命

 の無事を願う民衆や兵士の願望思考は可愛らしいものである。

 ほとんどすべての指導層が戦争は一カ月か、たかだか三カ月のうちに自国の勝利によって終わ

 

 ると考える傾向がある、第一次大戦においてはそれは特に顕著であった。すべての列強の指導層

 

 が積極的には戦争を望まないまま、「ヨーロッパの自殺」といわれる大焚火の中に自国を投入し

 ていった。列強のすべての指導層は、恫喝によって相手が屈すると思った。そのための動員令で

 あり、臨戦体制であり、最後通牒であった。しかし、相手も同じことを思っていた。》

《 太平洋戦争ですら、心理的窮地に立っての開戦決定にもかかわらず、シンガポール陥落で有利

 な講和を結ぶ状況が生まれるはずだと信じていた。そうならなかった後は打つ手がなくなった。

 太平洋戦争は一言にしていえば、連合国の植民地軍に勝利し、本国軍に敗れたということである。

 連合国のほうは植民地軍の敗北は「織り込み済み」であった。しかし、願望思考の極まるところ、

 「無敵」神話が生まれる。「勝利病」である。》

《 その後の日本軍の作戦は次第に作戦自体が多くの願望思考から構成されるようになる。精密機械のように

 複雑な味方の行動がすべて円滑に進行し、敵がこれに対してお誂えむきな状態に留まってくれることを前提と

 するようになる。マリアナ沖、レイテ沖海戦にはその影が濃い。最高の願望思考は本土決戦である。

 もし実現すれば、講和条件が有利になるどころか、一九四五年春のルソン島戦の再現となり、

 兵と民衆が山野を彷徨って遂に人肉食の極限に至っていたであろう。そして、むろん、日本は分割され、、》

《 平時から、願望思考は至るところにあった、戦艦「大和」が国費をかたむけて建造されたのは、

 米国にはパナマ運河を通過できない大戦艦は造れないという固定観念にもとづくものであったが、

 米国は、サヨリのように細長い戦艦ミズーリ級を造って日本の願望思考を破壊した。そして、速

 力三二ノットのミズーリ級は三〇ノットを越える当時の正規空母に随伴できるが、二七ノットの

 大和級はできなかった。

 それだけでなく、戦前の帝国海軍は、戦艦を中心として輪形陣を組んでしずしずと進んでくる

 優勢な米主力艦隊を西太平洋に迎え撃ち、途中を潜水艦、駆逐艦、航空機などで「漸減」させ、

 タイになったところで雌雄を決するという筋書きで猛訓練をはげんでいた。しかし「漸減」して

 タイになったならば米艦隊はリスクを避けて引き返すであろう。そもそも、主力艦隊が東西の横

 綱よろしく取っ組み合いをして国の勝敗を決するということが幻想である。》

    中井久夫戦争と平和 ある観察』[6 戦争指導者の願望思考]より

《 セオドア・ルーズヴェルトは飛行機と潜水艦に乗り込んだ最初の大統領であり、ノーベル平和賞

 受賞した最初のアメリカ人であり、その一年後(一九〇七年)にはアメリカが強権を揮えることを

 示そうと新しい「白い大艦隊」を世界周航へと送り出した、、、》

        脚注としてこう書かれている

《 白い大艦隊 一九〇七年から九年にかけて、世界一周航海を行なったアメリカ海軍大西洋艦隊のこと。

 艦体が白の塗装で統一されていた。途上、一九〇八年一〇月には横浜にも入港し、「白船来航」と歓迎された。》

   ジョン・キーン『デモクラシーの生と死』上[アメリカの世紀 優越の共和国]より 森本醇 訳 

《 だいたい開戦のときまでは戦争ベースは非常にはっきりしておりません。まず準備期があるわ

 

 けですが、『日米もし戦わば』[多くの日米戦争論の本が大正年間に出た]、この本はたぶん日露戦争

 直後から出てきています。

 

  実際には日露戦争の四年後の一九〇八年にアメリカは一六隻の最新の戦艦を連ねて東京湾を訪

 問するわけです。これは第二の黒船事件のようなものですけれど、国民に対しては最小限しか知

 らせておりません。このとき出迎えた日本の艦船はわずかです。そのうち三笠[大日本帝国海軍

 軍艦。イギリスで建造される。日露戦争での連合艦隊旗艦。一九〇五年に弾薬庫の爆発事故で沈没する]

 

 というのは有名な軍艦で、東郷平八郎もこれに乗りましたけれどもこの直後に爆発して場末にみ

 すぼらしい姿になっていたということです。

  このデモンストレーションはペリーの黒船と同じですが、満洲の利権をアメリカもわかちたい

 と申し出たのに対して日本がゼロ回答しています。これに対する反応だと思います。日露戦争

 アメリカの仲裁で終わりましたが、これがなければシベリアに進出する能力はもはや残っており

 ませんでしたから日本は負けているはずです。》

   中井久夫戦争と平和 ある観察』[戦争と個人史 戦争準備期]より

☆☆☆ 戦争の悲惨さは一〇〇年前もいまもかわらない 文章には独特な身体的直接性がある「反戦」はカラダに記憶させよう

    エルヴィン・ロンメルとはむろん後の「砂漠の狐ロンメル元帥である 第一次大戦従軍当時は二〇代半ばであり

    この「従軍記録」がドイツ国防軍での大抜擢の端緒となった。冷静で客観的な性格は人間にも軍人にも必須の能力だ

    「白い大艦隊 / Great White Fleet」には 後に米海軍第三艦隊司令長官として帝国海軍と戦ったウィリアム・ハルゼー提督も

     二六歳の少尉として戦艦カンザスに乗り組んでおり東京湾にも寄港している

    中井氏の記述だけでは少し分かりにくいが 戦艦三笠は一九〇五年に佐世保港での爆発事故により沈没したものの

    一九〇六年に引き揚げられて佐世保海軍工廠で修理されたのち一九〇八年四月第一艦隊旗艦として復帰 

    その後ワシントン軍縮条約により廃艦が決定され 

    関東大震災での岸壁衝突による浸水着底を経て一九二三年に除籍されたという複雑な経緯をもつ

    三笠 陸奥など帝国海軍戦艦の爆発事故と三菱重工業長崎造船所の連続する「火災事故」には同じ匂いがある 。。

    中井久夫氏のこの本から「アタマが硬く単純すぎる「日本人」がいかに戦争に向いてないか」知って欲しいと思う

    無知で夜郎自大で盲目的な「願望思考」のカタマリ 安倍麻生 白痴悪党売国内閣やほとんどの愚民が教育と新聞テレビetc.

    子供のころからの洗脳とマインドコントロールによって信じ込まされ自惚れているほどニッポン人の多くは優秀ではない 

    誤ったエスノセントリズムの呪縛を遁れ 上昇志向に幻惑され落とし込まれた社畜や奴隷をこの際やめて 淡々と生きる 

    社会や世間の風に流されず澄明な深部に還って真摯に生きる 。。。  それが現段階では最大の「反戦」行動である