隠棲 。。。

水牛のように』2015年8月号に

   高橋悠治さんが「ことばを区切る」と題して書いている

     いまの私たちにとって

        あまりにも重要なことに触れているので再録したい

          以下が全文です

        『 ことばを区切る 』          高橋悠治

                           

《  ツイートというかたちは すくない字数で思いついたことを書きとめておくのによい と思ってい

  た たとえばこんなことも 

  どこにも属さず 組織に雇われてはたらかない できれば半分以上の時間をあけておく 瞬間の粒が

  希薄な時間に散らばる ひととおなじことをしない つよい絆をもたない 「糸ほどの縁を取りて付

  くべし」(芭蕉

  その後 もうすこし書くこともできる こんなふうに 

  少数のともだちがいて 無視されるだけのまったくの無名とは言えないが 都会の片隅でひっそり暮

  し 食べていける程度の低い収入と 自由に使える時間があり 経験や技術にしばられず すこしず

  つあれこれのことをためしてみることができていれば 「雑草の生活」はたのしい と こうありた

  いものだが なかなかそうはいかない たまには世間に呼びだされ 求められた役を演じて でも 

  居着かないうちに帰ってくる どこでもないところ だれでもない影の家

  でも 論理のことばはどこまでもすすみ 現実から離れて舞い上がる こんなふうに

  組織に所属し 他人のためにはたらくのがあたりまえという感覚はいつからあるのだろう 上下の階

  層を細かく分け 競争相手を蹴落として這い登っていく 選ばれる一人がいれば 選ばれなかったそ

  の他大勢がいる そして頂上に立つと その上にまだ雇い主がいるのがわかる 国際社会と国際経済

  の両方からしめつけられ 朝から晩まではたらいて 役に立たなければ捨てられる 地位や役割をも

  つ人間には 代理や代役はどこにでもいる 

  ことばにならない感情は ことばのなかで薄れ 論理は空を切る 

  政治家だけでなく 音楽家でも生きかたはおなじ 審査で選ばれ賞をもらうのは いっときの餌付

  け 話題になり 飽きられるまでおなじ芸をくりかえし やがて忘れられる スターやタレントに

  なってしまえば 周囲に人が集まって うごけなくなっていく 自信たっぷりに上から目線で物を言

  い 立ち去った後に笑われる

  短く書こうとするとアフォリズムになりやすい 気のきいたことばは疑わしい あざやかなイメージ

  やたとえをふり捨てる「かるみ」は 一瞬の幻か  》

                   ★  ★  ★

  フクシマ第一「核爆発事故」由来の超大量放射性水蒸気による 湿度一〇〇%状態が列島を覆いつづけている 。。。。

          七〇年前とおなじように事実を隠蔽し無理心中を強要する日本国家

   

    この秋 七七歳になる高橋さん自身は厭がるだろうが 

          氏は五〇年以上にわたって 音楽だけではないこの国の最前衛に 宙宇に浮かぶような形で佇立してきた

              大袈裟な身振り手振りもなく暑苦しくも騒々しくもなく

    燕尾服を救世軍のゴミ箱に捨ててから なかばアグレッシヴな隠遁するアーチストとして ビートニック ヒッピーのように 

              アナキストとして 「降りるひと」として 市隠のように 。。

                     先日 亡くなった

                  鶴見俊輔も「降りつづけたひと」だった 怒れる隠棲者だった

        

              ある意味

         十九世紀マサチューセッツ州のH.D.ソロー あるいはC.S.パースに親和するプラグマティックなヒッピー 

             リベラルで柔軟な狂気 大胆で剛直な知性の持ち主だった

     現代に限らないことだが いま多くのひとは子どものころから 煽られ昇ることのみ考える 

          他人を押しのけ権威権力金銭を我がモノにしようとする 明治以来の立身出世主義が

                  さらに病的になって人びとを惑わす

               その「私利私欲」こそが自らを隷属させ 奴隷を無限に供給しているのに 、、、。

         高橋悠治の存在は ある種この国の 閑かに涼しく暮したいひとの こころの支えである

     鶴見俊輔高橋悠治 ふたりを透かしてみると 強靭で高度な知性がニヒリズムアナキズムに接近する事実を見る

            この知力に溢れたひととひとが立証しているように

               ひとは幼児期からさほど変わらない 。。。      

                

                  子どもたちよ この腐った世を捨てよ 親を捨てよ

                      遁世 隠棲 厭離穢土とは

                        殺祖 殺佛の謂

           無駄な競争社会から遁走し 世間とは最小限の接点で生きる術を身に付けて欲しい

                      たとえ迷いながらでも

                    隠遁とはサヴァイブの方法なのだ