「死と沈黙」 あるいは 「沈黙と死 」のあいだに 。。。 ON KAWARA 『 S I L E N C E 』

 

河原温の遺作とも形見とも見える グッゲンハイム美術館での回顧展図録『 SILENCE

  横にした厨子のように

    胡桃材の珈琲テーブルに載せ 気が向いたときは眺める 

       あれこれ 心に浮かぶよしなしごとを 

 ( たとえば ヨーゼフ・ボイスは一九六四年に

    《 マルセル・デュシャンの沈黙は過大評価されている 》と 警告しているが

      オン・カワラのながい「沈黙」は明らかにデュシャンとの共鳴現象下にあるし

        ボイスの発言は 河原温の死期を溯ること五〇年前 のことだ 、、、、etc. )

     書き付けることもなく 脳内純粋放電現象として 遊ぶ 。。。

         この厚く大きな作品集には 装幀の布地が四色あって 

             青 紺 赤 黒

               それは

 

     「日付絵画」の地の色に由来する

          「性」と「世俗」を徹底して忌避し

              「死」を終生にわたって意識した 概念藝術家 

         河原温だったが 、、、 (デュシャンより ボイスよりも) 

    とうとう「紙」になってしまった 。 

        印刷され綴じられた紙の束を 遺骨や遺灰のように 

             指で触れては 眺めている

        河原温は 印刷物が好きだった 

          絵葉書 テレグラム用紙 新聞 あるいは「印刷絵画」の試み

    印刷された紙片と死が かれの『首吊りの家』であり『サント・ヴィクトワール山』だった

死や印刷物と

            まるで符合するように

      グスタボ・ファベロン=パトリアウ 『古書収集家』を読んでいる 

              久しぶりに読む「小説」        

          ロベルト・ボラーニョ『2666』『鼻持ちならないガウチョ』以来 

      だが ボラーニョと同じ危険な匂い 

            屍体と 焦げた紙 漆喰 植物 動物 肉や虫の饐えた匂い 狂気

               南米の 

                  あらゆる物が腐敗した瘴気が濃厚に立ち籠めている

 

          なおかつ

    名著 アルベルト・マングェル『読書礼讃』を連想させる 印刷フェティシズムの高貴な香りがある

           死と印刷物は相性がいいようだ

    というより 印刷された物質  印刷物こそ「永遠の死」そのものなのだ 

            つまり

       書籍とは 卓上の銀河そのものであり

           不可視の死を 手に取れるようにする「装置」である

 

               敢えて云う

       読書術は 純粋藝術であると同時に 真性魔法の技術である