読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「人民の自己武装権」について :: 中江兆民と丸山真男

鈴木正さんの『戦後思想史の探究 思想家論集』から 引用します

      「丸山真男論」の 一節より

丸山真男中江兆民と似て「冷々然」と醒めていながら、現実の動向に対して原理に根ざした真剣な態度決定

 を情熱的に表明した人物であり、それを巧みな逆説をまじえて表現する魅せられる魂のもち主であった。

  しょっぱなから刺戟的な導入になるが、民主主義(自由民権と戦後デモクラシー)とは一見敵対するようなスコ

 ブル過激な〈外題〉をめぐる二人の台詞に対立法で接してみよう。兆民の暗殺論にあたるのが、丸山の「拳銃を

 ‥‥‥」である。いずれも原理(兆民のいう理義)にもとづいて提起されており、決して、その場かぎりのたわむ

 れではない。

  兆民は『一年有半』(一九〇一年)のなかで、政客・星亨が伊庭想太郎に刺殺された事件にふれ、悪に対する

 「社会の制裁力の微弱なる時代に在ては悪を懲らし禍を窒/フサぐ」ための義挙をすすめ「義に激する侠雄の徒起ちて

 天下の為めに之を刺す」ことを肯定しているごとくである。兆民は「余は明治の社会に於て常に甚だ不満なり」

 と回顧しているが、その根本には精神の拠りどころもなく、こだわる原則ももたず「時の必要に従ひ推移して」

 流されていく軽薄さがあった。そのため日本には「独造の哲学無く、政治に於て継続無き」伝統がつくられ、意

 志薄弱、事を断行する力を欠く病根がはびこったという。そのように暗殺を “教唆” する兆民は、決して理論を

 蔑視する「肉体的行動主義者」(丸山の言葉)ではない。「剛毅の気に学識を加え」「悲憤慷慨する気象をもって文

 明の学術を修め」よと、壮士・士族(サムライ的な覇気と志をもった者)に戒めを説いていたことも忘れてはなら

 ないだろう。今の世の常識―――とくに戦後のマス・デモクラシーのぬるま湯につかり、マイホーム的な視野狭窄

 に陥っている者には、おそらく兆民の暗殺論などは、おそるべき “暴論“ としか映らないだろう。

  一方、丸山には一九六〇年三月、まだ安保をめぐる五・一九の暴挙が起こる前に発表された「拳銃を‥‥‥」と

 いう小文がある。中身は原理的だが、これも平均的日本人の実感には超カゲキな言論と映るだろう。それはアメ

 リカ修正憲法の定める言論の自由や請願の自由などの基本的人権規定の一つである。「規律正しい民兵/ミリシアは自由な

 国家の安寧にとり必要であるから、人民が武器を保持し武装する権利はこれを侵してはならない」という条文を

 

 紹介したあとで、丸山はつぎのように述べている。

   「ここでは、人民の自己武装権が、政府その他の公権力の侵してならない人権の一つとしてかかげられてい

 

   るわけである。これがアメリカの独立戦争の由緒を背景にした規定であることもべつに註釈の必要はないだ

   ろう。ただこうした武装権が集合体としての『国民』の自衛権に、さらには『国家』の自衛権へといつの間

   にか蒸発してしまわないためには、本来この権利がいわゆる『人身の自由』habeas corpus の一環として、

   どこまでも、個々人の武装権を意味していることを念のために附け加えておきたい。」 『丸山真男集』第八巻

   所収)

  丸山はさきの人権規定を念頭に「どうもそれは原始社会で各人が弓矢や刃物をたずさえて自分の責任で自分の

 身を護って来た記憶と経験とに深い関係があるのではないかという気がしてならない」という感想をもらし、こ

 の自然権が「いわゆる前国家的権利(Vorstaatliche Rechte)であるということの意味」を強調している。なぜ、

 その点を強調するのか。天皇制社会=「わが社」「俺が村」といった「共同体」社会を基盤とする日本では、

 これまで個の存在が基本単位となったことはなく、武器も法もすべて国家のものという意識が圧倒的だったから

 である。遠くは刀狩りによって人民の自己武装権は徹底的に剥奪された。さらに明治以後は近代的制度が欧米か

 ら既製品として輸入され、法はすべて「国家法」の形で天降ってきた国情に影響された国民の武器感覚と丸山の

 考え方とのあいだには大きな距離を認めるからである。それを埋めるため、つぎのような反語的な一石を投じて

 

 締めくくっている。

   「とにかく、豊臣秀吉の有名な刀狩り以来、連綿として日本の人民ほど自己武装権を文字通り徹底して剥奪

 

   されて来た国民も珍しい。私達は権力にたいしても、また街頭の暴力にたいしてもいわば年中ホールドア

   ップを続けているようなものである。どうだろう、ここで一つ思いきって、全国の各世帯にせめてピストル

   を一挺ずつ配給して、世帯主の責任において管理することにしたら……。そうすれば深夜に御婦人を襲う痴

   漢や、店に因縁を附けに来るグレン隊も今迄のように迂闊にはおどせなくなるだろう。なによりも大事なこ

   とは、これによってどんな権力や暴力にたいしても自分の自然権を行使する用意があるという心構えが、社

   会科の教科書で教わるよりはずっと効果的に一人一人の国民のなかに根付くだろうし、外国軍隊が入って来

   て乱暴狼藉しても、自衛権のない国民は手を束ねるほかはないという再軍備派の言葉の魔術もそれほど効か

   なくなるにちがいない。日本の良識を代表する人々につつしんでこの案の検討をお願いする。」 (同上。註記

   ―― 『鑼』第一号、一九六〇年三月、これは江坂満らの同人誌、江坂の求めに応じて寄稿)  》

              初出(『共同探求通信』一三号 一九九八年一二月 )

                鈴木正『戦後思想史の探究 思想家論集』から

            ☆ こころある人に 熟読 精読してほしくて 引用 掲載しました ☆