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隠遁私記。「さあ 濁世は終わった」柳宗悦とヴェイユ*研究へ(閑かに)潜航しよう。

払暁 

遠くユーラシアから飛来した 郭公が啼く

           冥き世も 鳥啼魚の目は泪   

        クラキヨモ トリナキウヲノメハナミダ

 寂然たる五月の風光に おもうことあり 

 ふりつむ俗塵を 温泉浴/コズミックサーフィンにて はらい

 しずかに 

  閑かに 密やかに さらに深く 隠棲しよう

    地底放浪への潜行 深海生活への潜航   

      意識の深みに潜りつづける

ひとは「無知」と「健康」あるいは「懈怠」に生きるかぎり 

なにであれ 

抽象化される精神 と 具象の生活を結べるような存在を必要とする

それが 

ぼくの場合 柳宗悦であり 民衆的工藝「美論」だった

柳を 読み始めたのは 一〇代のなかば

  Nikon SPを頸から提げた土門拳の推輓だった

シモーヌ・ヴェイユを 初めて読んだのも 一〇代のある日

  『朝日ジャーナル』とともに姉の書架にあった

       かえろう 還ろう 

  四〇余年のむかしへ   あの六〇年代へ

     田園歸去來兮   田園將蕪胡不歸

   カヘリナン イザ デンエン マサニアレナントス

 遺憾 慚愧 忸怩 無惨 断腸 無念のことばを 如何につらねようと

        自然の田園 地球表面上の田園は

   二〇世紀に始まる 人類による自己への暴虐/ヴァイオレンスで 喪われ

              ついえた

   われわれは 

   どこに定住していようと すでに 故郷喪失者である

   二一世紀の 田園は 海の底 深海にあるだろう

   あるいは

  

   こころの 奥深く 

   滑稽かつ強欲な表層意識の及ばぬ 脳内深部と惑星中心部 アンドロメダ座大銀河をむすぶ 

         魂魄と生命の深層にだけあるだろう

新たな田園を 天球を 銀河を 脳内に 創る 

       「 結 縁 」

脳内にはじまる 新しい天体への 流浪 逃亡 亡命 

  そこには 

      柳宗悦が シモーヌ・ヴェイユが 鈴木大拙が 井筒俊彦が 中村元が 白川靜が 

        待っている

 神秘体験以降 若くも最晩年のヴェイユが説いた「聖なる無人格」

    あるいは「非人格」

 老境の大拙、宗悦ふたりの 深い宗教哲学者が恩寵のように辿りついた 

   妙好人に由来する「絶対他力」の道

      ふたつは 

 言葉こそたがうが なかは広々とふかい 

 

     駱駝もおののく 果てなく宏大な 針の穴 / 笑。

           不二 一如 の神秘道 。。。

    妙好人 絶対他力 他力道 。。。

グノーシス老子 荘子 マルクス・アウレリウスへの途も あるだろう

吉田兼好も 友情篤く 手ぐすね引いて 待っている はず / 笑。

    読書は演奏である アタマのなかに響く 独りだけの演奏

               ☆

          厭離穢土するカタパルト

         机上の銀河       

                    卓 上 銀 河

    本と 本を読むことは 神秘の存在に気づく杣道 その第一歩

     いったい読書とは  優れた読書  無人格の演奏行為は

        他力であるのか 自力であるのか

  一冊の本が宇宙そのものであることに 気がつくひとは 気づく。。。。

☆ * シモーヌ・ヴェーユの『カイエ』や『シモーヌ・ヴェーユ著作集』など みすず書房と春秋社は

 「ヴェーユ」表記だったが『ヴェイユ選集』以降 みすず書房は公式HPも『カイエ』に溯って 無理矢理「ヴェイユ」に。

  それはそれとして

  古い読者にとっては より親しみのある「ヴェイユ」表記にした( msz の節操および定見のなさには驚愕+憮然/笑。)