“ It's a bit too early ” 朝からギムレットでも平気な人物が贈る 春のクリスマス譚。

数あるクリスマス物語の 最高峰は

ぼくに 云わせると カポーティの『クリスマスの思い出』だ 

ところが 

ごく最近 最上等のクリスマス エピソードにして 

真の子どもによる卓抜な「サンタ・クロース理会 / 解釈」そう思えるものを 得た

その清冽な感銘を 記録しておきたい

中井久夫の『サリヴァン、アメリカの精神科医』を読んでいたら

そこに D・マッケンジー・ライオックの

「回想 ハリー・スタック・サリヴァン 一一 その対人関係的精神医学の発展をめぐって」が

松井律子 中井久夫訳で載っていた

引用する話は サリヴァンの友人 精神科医にしてカナダ陸軍軍医総監 G・ブロック・チザム少将のこと

《 それから程なく、私はサリヴァンに会った。チェスナット・ロッジ病院のサリヴァンの個室だった。

 サリヴァンは、この部屋を、病院の勤務医がサリヴァンに症例の相談をする場所にしていた。チザム

 が送ってよこした二つの原稿を読み返しているところだった。その時は三度目か四度目だったろう。

 それは、チザムがホワイト記念講演を承諾して送ってよこした文書だった。あれほど喜び、文字どお

 り希望にあふれているサリヴァンを見たことがなかった。天使と格闘をして祝福されたヤコブのよう

 であった。人間的宇宙/セカイと人間の相互作用の伝達可能性についてのサリヴァンの定式は、これまで彼が

 ずっと関心を払ってきたものだが、もはや彼独自のものでなくなったのである。これはどちらが先に

 思いついたかという下らない優先権の問題ではなかった。重要さの次元が全く異なる問題なのである。

 原稿を手にしながら、サリヴァンはこういう感想を述べた。「自分はチザムをホワイト記念講演に招

 待はしたのだが、どんな講演になるか見当がつかなくて、実をいうと少し心配だった。けれども、こ

 れで、まさに言うべきことを簡明直截に述べる講演だということがわかったんだ! あらゆる予想を

 上回っている素晴らしさだよ」。チザムの講演直後のサリヴァンの感想には一一その後の感想にもだ

 が一一 、これとは別の特徴があり、その含蓄もよくつかめる。中でももっとも意味が深いのは、競争

 心と嫉妬が毛ほどもないことである。それどころか、嬉しさがおさえきれないほどである。人間行動

 と、その相互作用の制御にあずかる因子との直接調査が、きわめて人倫にかなった、れっきとした研

 究分野として認められたこと、その内容が次第に伝達可能となってきたのを証明されたことがサリヴ

 ァンには嬉しいのであった。》 

       ここまでは チザムとサリヴァンの関係を知るために必要な部分

《 チザムは、第二回目の講演をニューヨークで行ってカナダに帰ったが、この講演の前の数日間ワシ

 ントンに滞在した。滞在中のチザムは、種々の討論会とセミナーに出席し、また、非公式の会合にも

 顔を出した。非公式の会合にも重要な意味のあるものがあるが、それは、公式記録にはまずみられな

 いデータが出ているからである。たとえば、ある夜の討論のチザムは、若いころの一挿話を披露して

 いる。ある日曜の午前のこと、チザムは何人かの遊び友達といっしょに、日曜学校が終わってから田

 舎に散歩に出掛けた。年頃は皆六歳前後であった。両親たちはまだ教会にいた。道々おしゃべりを続

 けたが、話題は、最近の体験に行き着いた。何人かが期せずして一致した経験だった。それは、「ほ

 んとうはサンタ・クロースなんかいない」ということだった。さらにおたがいに問題を続けて落ち着

 いたのは、「六歳まではサンタ・クロースは信じなければならないものだし、イエスさまを信じるの

 をやめたければ、二十一歳にならなければならない」という結論だった。サリヴァンは、この話を聞

 いてわが意を得たりと、自分もおおよそ七歳の時に、それにつうじるところのある体験をしたと言っ

 た。彼の言うところでは、当時うんと考えてからの結論は、「私」と「おかあさんの息子」とは別々

 の人間だ。こう考えてみると、私の人生に起こることで、今までどう考えてよいかわからなかったた

 くさんのことが納得できるぞ」というものだったという。人間の生を実践的に検討し、これに対処し

 ようという、サリヴァンとチザムに共通の情熱が、二人の友情を強め、相互の尊敬を強めて、サリヴ

 ァンの死に至るまで変わらなかった。》

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    「六歳まではサンタ・クロースは信じなければならないものだし、

    イエスさまを信じるのをやめたければ、二十一歳にならなければならない」という結論だった。

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 何というおとなに対する優しさ 思慮分別に富んだ子どもたちだ 聡明かつ怜悧 綜合的な判断力とユーモア

         本物の子どもはこうでなくちゃいけない / 笑。

          深い嬉しい 嘆息と快哉が ぼくを 包んだ。

 五歳か六歳のころ考えた 

「(子どもは)おとなに恥をかかせては いけない」 それと とてもよく似た 思いだったから 。。。

とくに

 カナダやアメリカの子どもが 小さな頃から身に付けている「論理性」「討議する習慣」に感嘆した 

 彼らは間違いなく パースやジェイムズ 、、 メタフィジカル・クラブの末裔である

      (あるいは 生きてるチャーリー・ブラウン とその仲間)

 日本のこどもで お互いの体験と考察を客観的かつ冷静に 意見交換し 話合える児童が  どれくらいいるだろうか

 この国のおとなは非論理的で子どもっぽく こどものほとんどは ガキか ませガキにすぎない

 叡知ある子ども 無垢を裡に棲まわせた大人など どこにもいない

 この日本という国は 歴とした 指導的科学者であるはずの 元東大教授 原子力安全委員会委員長が

 ベソをかきながら「(事故が)夢だったら良かったのに」と 

まるで寝小便をした小学五年か 中学一年生のようなことを平気で口走る 国である

                                      サイテー 超最低 

         寝小便小学生 低能の厨房とは 班目春樹よ キミのことだ