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西の私的資本主義も 東の国家資本主義も超えて : JOSEPH BEUYS に学ぶ 。

一九六〇年代後半 あるいは 七〇年代前半に

ヨーゼフ・ボイスは こう述べている

《 「政党は何よりもまず、常に一部の特定の国民を代表している。…

  …やがてそうするうちに特別にお人好しの人々にも、国会が何よりも

  党ならびに党役員、ないしは資金提供者たちによって、自由にされざ

  るをえないことが明らかになる。抑制することのない利欲が合法的経

  済原理となるような体制の中では、同権とか人間愛、そして道徳のた

  めの余地はほとんど残っていない。賞讃されることの多い我々の国会

  の現実は、むしろ残忍な人間蔑視の特徴付けをすることができる。如

  才ない営業マンが政治と法生活と経済生活を支配する。

   「人間は内心では不安なのであり、西ドイツ並びに全世界の政治体

  制は、目下のところ人々を静めることに関心を抱いている。これらの

  体制の経済生活から提供されうるものは、まさしく物質的な方法によ

  る安定なのだ。……このシステムはますます多くの物質を得て、人々 

  に提供するようになろう。魂に関しては人間の精神的な部分が……、

  ますます破壊されることになろう。世界の政治体制は人々に物質的豊

  かさを提供し、このシステムを引き続き支持するように、と言わば誘

  惑しつつ、人々を活気付けてシステムを信じさせる。」 》

      

ライナー・ラップマン「社会有機体 一一 芸術作品」《 分解過程と創造過程 》より

   『ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻』 邦訳版 1986年 人智学出版社 刊

あの当時 

この国に 擬制民主主義たる政党政治にたいして

このような厳しい意見を公表した 知識人 思想家 学者 評論家その他 が

いただろうか

 すべては 大新聞 商業雑誌等の

本質的には 既得権益を擁護する 贋の「言論機関」に 絡め取られていた のでは ないか

ドイツの闇も深いが 

日本の 病んだ曖昧で談合的な 薄暗がりは もっと 長く深く陰湿である 。。。

いうならば日本国は 

財閥:巨大独占資本主義と 官閥:官僚国家社会主義の 悪い部分を 寄せ集めた

ファジィ /いい加減 で ステルス /見えにくい  巨大ムラ社会にすぎない / 笑。

ところで 今回の ボイス熱中症は 

一月末に400頁の大冊『Joseph Beuys Die Aktionen』Verlag Gerd Hatje 1994 を 

わずか 2100円で落札したことに始まっている

この本は 海外の古書店でも 200$から 400$もする いわば稀覯本

三年ほど前 ヤフオクに 二万円で出品され

そのときは さすがに手が出なかった物だったから

悦びは 三倍あるいは数倍である

 欣喜雀躍しながら この アクツィオンの記録集を眺める

ボイス藝術のなかでも「アクツィオン」はもっとも狂気度の高い行為 であり 分野

 これは 残念ながら

狂気を自らの内部にも もった者しか 理解できないこと

「狂気との往還」は 思想家 あるいは 芸術家 

そして もちろん 信仰と霊操には 必要だ

なぜなら 狂気とは 

          裸になった魂だから

狂気なき思想 狂気なき藝術が あるだろうか

聖なる狂気なきものよ 狂気を怖れるものよ

藝術を 語るな。。。

これが 本心である

  ヨーゼフ・ボイスは  

二〇世紀の ゴッホ だった

生真面目に生まれ変わった フィンセント・ファン・ホッホ だった

ボイスの画集や図録は 生前には 一〇〇冊に満たなかった

しかし

彼の死後 出された作品集 展覧会図録 写真集 研究書 の数は

およそ 三〇〇冊から四〇〇冊を超えるだろう

これは 

ピカソにも マティスにも デュシャンにも 

アンディ・ウォホール にも見られなかった現象だ

ボイスは 死んで 生まれた 

彼は いまを生きている