「死者と老人」 ふたつの 近未来 。

死者と老人 そう書いたほうが きわだつ

  なにか が

老人と死者 と 表記するだけで 

どこか 融和的になる

  曖昧に 緩慢に なる 《 誰も知らない 》 死との 識閾

それは 

老人が死者にもっとも近い存在 だと 考えられているからだろうか

     「死者 と 老人」    「老人 と 死者」

近いようで 距離があり  離れてはいるが 似ている

きょうも夜明け前 

延々と 死んだ友人の夢をみていた

昔の下北沢よりも さらに汚い場所が舞台

ぼろアパートと 酒場を兼ねた 廃墟

松崎は 店が行き詰まっていて やばいカネを借り マル「暴」に 追われている

その汚い地帯 

三〇年前の下北沢と ブラックレイン ブレードランナー の世界を合わせたような「近未来」世界

一〇年前に死んだ松崎博も ぼくと同じように 年をとっていて

しかも 疲れ切っている

ぼくは ぼくで トイレにいった先のこれまた ド汚い中華料理屋で 店の兄弟から

もし 

横流しの上等な服があったら 買いますから という 理由で

カネを 受け取りそうになっている

松崎の逃亡資金が 欲しいとおもっているからだ

受け取ったら 最後

ふたりで 死出の旅に 出るしかない

窓のしたには あの ヤマハRZ がまだある

   だろう か 

ところで 今日 ぼくは 融和性との絡みで

圧密化 という言葉を 始めて 知り 

   記憶した