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BEUYS TINGUELY RAUSCHENBERG   現代の荒ぶる「付喪神」として。

日記

 《 宇宙は限りなく繰り返され、その場その場で足踏みをしている。

  永遠は無限のなかで、同じドラマを平然と演じ続けるのである。》

 

『天体による永遠』を そう結んだ ブランキほどではないが

ぼくにも 見えてしまった「ペシミズムの深淵」がある

あの 了知 /アウェアネス は いつころだろうか 

「ダ・ヴィンチの絵だろうと 始皇帝兵馬俑だろうと

 ただ 古く貴重で高価ゆえ 大切に保護されているだけで

 

 人類の 創り出したモノは スフィンクスだろうと 摩天楼だろうと

 万里の長城から エグゾセミサイルに至るまで

 捨てられた家電製品 ポンコツ車 使用済みルーデサック 同様

 本質的には ゴミにすぎない 

 人類 は ゴミ製造用の量産「機械」

 アモラルで 反自然 反宇宙的な 狂ったマシーンでしかない。」

        ・     ・     ・

だからだろうか 

ぼくは タァンゲリー ラウシェンバーグ ボイス らの作品群に

とても とても強く 惹かれる

廃棄物や 大量生産される安物 古びていく自然素材 そして印刷された紙片への 

独特な 眼差し

三人とも もう いないが 

作品的な本 アートブック を つくるのが好きだったのも 共通している

彼らが 神経のかよった 薄・厚・重・軽・微・巨・小・大 の作品集 創るのを

愛しい「紙による小廃墟」として ぼくは 愉しく 蒐めてきた

   燃えるゴミだから罪は軽い と/ 笑。

もちろん 廃物に こそ 神は宿るのだ

あるいは 捨てられた古道具たちは 人間への復習を企て

古道具が 妖怪へと変化す

読んでいただこう

 《 陰陽雑記に云ふ。

  器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すと云へり。》

おそらく 

ぼくは 子どもの頃から 付喪神/ツクモガミ と気が合うのだろう 

ボイスには 爆撃手・無線士として搭乗中 撃墜された影が 色濃いし

ラウシェンバーグにも 米国海軍 徴兵と 

戦争が終わり 除隊後 訪れた タンジールで ポール・ボウルズに与えられたハシシの フラフラ感

ボブ・ラウシェンバーグの作品には モロッコの砂混じりの埃っぽさと ハシシテイストがある 、、、/笑。

戦争中 スイス・バーゼルにいた タァンゲリーの 欧州大戦経験は 知られてない

ただ

一九二一年生まれの ヨーゼフ・ボイス

一九二五年生まれの ロバート・ラウシェンバーグ

ジャン・タァンゲリーは ボブと同じ 一九二五年生まれ生まれだから

スイス であっても 激しい欧州大戦 廃墟化した ヨーロッパ 大量の死者が

一〇代後半の 心身に 影響を与えない 筈がない

さらに

二〇世紀芸術に 濃厚な影を落としているものが ふたつ

      戦争と ゲイ文化だ 

若者を殺す戦争と 子を生さぬ性

このふたつの「廃墟性」こそ 現代芸術の 隠された鍵 ではないか

そして 

  最期に登場した 悪魔 冥府の王 の 不可視の ゴミ

フクシマ 原爆発電所 核爆発による 放射性ゴミ

  人類は 日本人は アメリカ人は フランス人は 

  ここまで 悪魔化した のだ。

  処分し得ない【最終の ゴミ】が 現代人の心身と魂まで を もろとも廃棄物 に する 

あるいは 

    廃墟性とは「魂の解離」の 謂い なのか

もはや 手遅れとも 考えつつ、、、。 

         儚くも 未来は「未来」にしかない 

 三人を 代表して Jean Tinguely Museum の画像を ご覧いただきたい

 ここで 

破壊され(つづけ)る廃棄瓶 あるいは 捨てられ(つづけ)るジャム付きパンが 

   あなた であり わたし であり すべての人間なのだ

運ばれていく 距離だけが 生であることを 想起して ほしい 。。。

☆ 複数言語を使用する瑞西人の名前表記はむつかしい 

  ピーター・ズントーがみすず書房によってペーター・ツムトアとなったのを期に

  ティンゲリーを タァンゲリーに変えた 優れた長尺ドキュメント『Jo Siffert & Jean Tinguely

  の証言者たちが皆「タァンゲリー」と発音していたことを根拠とする