山口富士夫と沢田研二 ふたりはいま日本最高の Rocker だ!!

まず この曲から 聴いてもらおう

シーサイド・バウンド』 と 『トンネル天国

両方ともに 一九六七年リリースの楽曲 あれから もう四十五年も経ったことになる

10代だったふたりも すでに六〇歳を過ぎた

そして ふたりだけでなく 世界が変わった 

とくにこの国は あの若々しかった六〇年代は 跡形もなく 崩壊しつつある

わたしたちは ポスト・フクシマの時代 現実化した邪悪な夢の世界を いま生きている

逃げることはできない 誰にもできない  。。。。

大災厄 大惨事の予兆はつねにあった  

湾岸戦争では 大量の劣化ウラン弾が使われ 

放射性物質は 視野 視界にはいっていたはずだ

山口富士夫は 筋金入りのロッカーだったから

一九九一年 一〇月二日 の《 湾岸戦争に反対する集会 》にも 参加していた。

そのとき 久しぶりに会った フジオチャンは

例の シニカルさと含羞が入り交じったような 独特の微笑をしながら

「雲衣。サンだろ 読んでるよ」そうニヤッとして さらに続けた

「チャー坊に 説教してやってくんないかなァー  あいつ 最近 いい気になってんだ」

いま思うと 

それはドラッグの過剰な摂取を 諫めて欲しいという 意味もあったのかもしれない

何しろ 

あれから チャー坊は 三年足らずで死んでしまったのだから 。。。

それにしても 

あの 我が道を征く ドラッグの巨匠

山口富士夫が 柴田和志に説教してやってくれ なんて まるで奇蹟のような 嘘みたいな依頼だ

あいつら 「村八分」ほど説教なんて言葉が似合わないヒップスターはいなかった

その「提案」は ビールの王冠的 ぼくのロック勲章でもある / 笑。

この際 

ついでにもうひとつ 威張っておきたいことがある  ☜☜(ホント莫迦 / 笑)

それは ジュリーの膝枕で グッスリ寝込んだこと

あれは 新宿厚生年金大ホールで ボブ・マーリー&ウェイラーズを 大酒飲みながら観たあとだから 

(調べると 一九七九年四月六日)

材木町の「スピークロウ」で爆睡仮眠した夜

あの沢田研二の「パ」ぢゃない忍耐強さにはあとで驚いた 

さあ 本題に入ってきたぞ 

昨年一〇月二七日 経済産業省前の〈原発いらない福島の女たち)座り込みに駆けつけ 

そこで歌い演奏する山口富士夫

大病のあとだから やつれているが 格好良い 

それから 

沢田研二の 『F. A. P. P.』を聴いて欲しい。

FAPP とは フクシマ アトミック パワー プラント を意味する

沢田は ここで はっきりと【脱原発を宣言】している。

ぼくは ふたりを 

同じ時代を生きてきた 同じ世代として こころから誇りに思う

おたがいに 老けたり やつれたり 太ったり 毛が薄くなったりしたが

あの頃を 

あるいは もっと幼く 喪ってはならないものを 魂のなかに棲まわせ 

深くなり シンプルになり むしろ 混濁と澄明を 渾然と併せもつ

おとなこども になりつつある 

そんな

矛盾する世紀 混乱する此岸を生きてきた「ロック者」として ふかく深く感謝し 誇りに思っている

ありがとう ジュリー ありがとう 富士夫 

   KEEP ON TRUCKING       KEEP ON ROCK'N ROLL !!!!