煙草の光 富士の灰 。。。

一三〇年前の小學唱歌が かすかに 遠方から響いている

螢の光 窓の雪

書読む月日 重ねつつ

何時しか年も すぎの戸を

開けてぞ今朝は 別れ行く

止まるも行くも 限りとて

互いに思う 千萬の

心の端を 一言に 

幸くと許り 歌うなり

筑紫の極み 陸の奥

海山遠く 隔つとも

その眞心は 隔て無く

一つに尽くせ 國の為

千島の奥も 沖繩も

八洲の内の 護りなり 

至らん國に 勲しく

努めよ我が背 恙無く 。。。

「ソーイン タイカンセヨ」  との幻聴も聞こえるようだ

          … … … … … …

きのう 

本屋の棚に置かれた新書『ホームレス博士 派遣村ブラック企業化する大学院』にぱらぱら 目を通した

あざとく見事な題名に気を惹かれて むかし立ち読みした

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』と おなじ著者

あれから三年が経ち 事態はさらにわるくなった 

「末は博士か大臣か」の粗野で野蛮なちからに充ちた 明治が「終わった」のだ。

戦に敗れ 無条件降伏したあとも 

明治以来に「デモクラシー」色のペンキを塗っただけの 戦後昭和も ようやく終わったのだ

天皇制にデモクラ色を糊塗したところで 所詮 鎧ひたたれ つけやきば

胡乱で胡散くさい明治起源の立憲君主制(改)に すぎなかった / 笑。

官僚制度は 天皇麾下の支配・統治システムだから  

その天皇が 口を挟めなくなり 

大元帥閣下の威を借りた軍人政治家もいなくなった

敗戦からの六十五年間は 

文字通り 官僚どもが夢の跡 ながい永い わが世の春だったし

天皇陛下の筆頭番頭たる 内閣総理大臣は 

痴愚であればあるほど 理想的だった。

それは 麻生太郎 および 安倍晋三が証明して

いまも菅直人が 魯鈍な血脈を立派に引き継いでいる / 嘲。

鶴見俊輔が二〇〇七年十二月に『現代思想:総特集 戦後民衆精神史』臨時増刊号で

《  断じて日本は終わる。

  私はもともと親爺と爺さんを比較していて その直感はあったんだ。

  八〇年経って確認するね。自分の中の目利きによると 未来はない。》

   そう 明るく はっきり断言したように 

                   この国は ようやくおわり始めた

覚悟しよう  

自分で考え じぶんで判断し 自分たちの人生は じぶんたちの物差しで計り 生き 修正し やり直す

当たり前の 時代が 始まる  

幕は落ち 壁も崩れた 

足場も道も 溶けている

寄らば大樹の日陰もの ホームレス博士および社畜諸君  リーマン&リーマンコの皆さん

若きも老いも 甘いも酔いも 園児 中坊 受験生 無職 派遣も ヒッキーも 

死人 廃人 二〇〇歳 暇もてあました爺婆も

跳べよいまこそ 

ここがロードス ロドス島だ  

個 個に 跳べ 飛べ

生命の飛躍 躍動 まことの跳躍

不視にして不二たる 灰色のエランヴィタールを