余は確信犯的「不逞の輩」である。妄想・暴論としての顔相学的 一九四七年「丁亥」論

景山民夫が死んだのは いまから十二年もまえ

一九九八年一月のことで 彼はまだ五〇歳だった

そして公開された最後の映像で「PEACE POT MICRODOT」のキャップを被っていた

三浦和義がロサンゼルスで縊死したのは二〇〇八年十月十日

カントリージェントルマンを自称した加藤和彦軽井沢のホテルの浴室で頸を吊ったのは

二〇〇九年十月一六日のこと

この三人には共通点がある

彼ら全員が一九四七年に生を受けていて

長身痩躯であり 顔の形や造作も見ようによってはかなり似ている。

景山氏遺影

三浦氏遺影

加藤氏遺影

動画も用意しました

景山   三浦   加藤

ここまでは加藤の自死によって気づいた推論というかアナロジーにすぎない

さて、これからが暴論のぼーろんたる由縁、妄想のもうぞうたる 怪しげな本体

先のわれらが宰相 鳩山由紀夫さんの今後の「身の振り方」の要らぬ心配である

彼も景山 三浦 加藤と おなじ一九四七年に誕生している

おまけに身長 177 cm だからまあ長身である。

容貌もどちらかといえば前三者とも共有する雰囲気がある

そこに流れる共時感覚は 

占領地焼け跡復興期に生まれ育った子どもたち特有の脳天気民主制ナルシズムというか

アメリカニズムの自己愛型植民地ヴァージョンというべきか

要するに「夜郎自大」を子供っぽくし 自惚れの化粧を施した脆弱なものにすぎなかった

(一九七〇年に四十五歳で自刃した三島由紀夫は「ナルシシズムが幸福であろう筈はない」と書き遺している)

それらは仮設の虚像 虚栄に裏打ちされた自我の西欧風な「幻影」であった。

一九四七年は占領下の五月三日に日本国憲法が施行された年であり

敗戦と進駐軍による占領を表象する「時節」でもあった

政界を引退したあと

虚しさだけが遺るだろう由紀夫氏の一層の忍辱とご自愛を切に祈る

これは本心です。

そういえば鳩山兄弟の従兄 

初期日本のロックシーンを牽引した不世出のギタリスト成毛滋も同じ一九四七年生まれだったが

二〇〇七年三月二九日に癌で亡くなっている、、、、。

以上の推論は

すべてが往事渺茫となっていくなかでの白日夢的心象試論です。。。

☆ ところで「不逞の輩」は一九四七年一月一日の「内閣総理大臣 吉田茂 年頭の挨拶」から衒学的に採りました/笑。