内視鏡に始まる内観および、ないない感。

(先週の)火曜九日

内視鏡による直腸から結腸、虫垂、盲腸直前までの視認検査を受けた。

午前九時に受けつけ 

専用待機室で腸管洗浄液を3L飲む。

(味はスポーツドリンクに塩気を添加した感じ)

同室には一〇名。

午後からの検査は四室で三十二人が受けるという。

(腸管内が完全に洗浄されたことが確認されないとさらに1L飲まされる)

 

午後一時過ぎ ゆっくりと合格後

一時半の開始に二番手で呼ばれる。

入院時の主治医だったT医師のスケジュールの都合上 

順番が早くなった模様。

「前立て」がうしろに付いた不繊布のズボンを穿き、上は通常の木綿の手術着。

肛門部に麻酔薬を塗布してから 開始。

ほとんど異物・違和感はない。

首の位置を工夫するとモニター画面が見えることに気が付く。

かなり焦点深度のある近接撮影用広角レンズのため遠近感が強く

そのため移動のスピード感を強烈に感じる。

まるで腸管内部を走るジェットコースターか橇のスケルトン競技。。。/笑。

ぼくは自分の眼球の内部を見たこともあるが

自分の肉体内部にある臓器を内側から見るというのは また独特の感覚がある。

それはふだんとは倒立倒錯した〈自覚の一種〉だと思われる。

つまり自意識の変容がもたらされる。

腸管の内側をのぞいている人間には

美醜やスタイルその他、外側の価値観は滑稽なものになる。

幸いにしてぼくの腸管内部はかなり綺麗と云って良い状態だったようだ。

話題はすこしばかり内臓から離れるが 

男の子も 顔を磨き、眉毛を整え 体をやたら丁寧に洗う。

ひどく容貌や体型、服飾にこだわる(らしい)。

正直言ってぼくは 気色悪い。

あるいは 有名になりたいとか

大金持ちになりたいとかいう馬鹿げた希望を

人生でいちばん大切なことだと多くの青少年が本気で想っている(らしい)。

おおくのヒトはまだ素朴にも

有名というのは精神的あるいは心理的、状況的なことだと考えているが

本当はとても肉体的なことである。

有名人とは 視覚の餌食 

呼吸する「被写体」そのものとして

肉体とその表面 

身体と顔の表皮を交換価値として勝負/商売している人種のことである。

自分の肉体表層を売るひとびと、、、

閑話休題

あるいは多くのヒトの考える快適な生活とは 

まったく疑う余地もなく

基本的に 肉体の快適性を求めているに過ぎない

身体がカンファタブルで 

それを楽と感じたら気分が良い。

高価なクルマが欲しい

高性能車に乗り 他人の車を抜きたい

大きく広いモダンな邸宅が欲しい

羨ましがられるようなライフスタイルで暮らしたい

他人より快適なら気持ちが良い

羨ましがられると愉快である

そのことに生き甲斐を感じる

すべて肉体に由来し 

しかも他人の目線を気にかけたもの。

それらはまったく肉体に支配された「気分」が

精神のほんとうの独立をおそれ 

紡ぎだした妄想「世迷い言」に過ぎないだろう。

そんなことを 現代の多くの○○人に求めても

ムリむり無理 !

だからこその「ないない感」というものです/笑。

                          

            ・

棚に置かれた かつて抜歯した虫歯を眺めておもう。

少年のころ歯に充填した水銀かイリジウムが光るそれは

一足先にできたぼくの死骸の一部だ。

死んだあと焼かれた骨とそれは本質的に一緒だ

その屍体としての「歯」を眺めるとき ぼくはいつも死者の視点を獲得する

死者となってここにいる/笑。

※ 日付が下書きの時から変更できないので10月11日になっていますが

  アップしたのは19日です。