森於莵『耄碌寸前』

すこし部屋を片づけ始めたら井筒俊彦の『神秘哲学 第二部/神秘主義のギリシア哲学的展開』序文コピーと一緒に、森於莵の『耄碌寸前』コピーが出てきた。

このそう長くない文章が僕は若い時からとても好きだった。

青年へ遺す言葉として、第二次大戦後に日本人が書いたものの中では“この春、学校を卒業する若い女の人のために”と副題され単行本『一銭五厘の旗』に収められた花森安治の『世界はあなたのためにはない』と共に最も優れたものだと思っている。

まだ読んだことのない人のために終わりから全体の四分の一ほど書き写しておきたい。

《 つらつら思うに人生はただ形象のたわむれにすぎない。人生は形象と形象とが重なりあい、時には図案のような意味を偶然に作り出しては次の瞬間には水泡のようにきえてゆく白中夢である。痴呆に近い私の頭にはすでに時空の堺さえとりはらわれつつある。うっすらと光がさしこむあさまだき床の上で時に利休がいろり端でさばく袱紗の音をきき、またナポレオンがまたがる白馬の蹄の音をきく。はたまた私は父に連れられて帝室博物館の庭を歩きながら父と親しく話し合う青年の私ですらある。現実の人は遠く観念の彼方に去り、以前は観念のみによって把握される抽象の人と考えられていたものが、今の私にとってはより具象的な現実である。老人は狂人の夢を見果てない。現実を忘れるどころか、この調子では死ですら越えて夢見そうである。私は死を手なづけながら死に向かって一歩一歩近づいていこうと思う。若い時代には恐ろしい顔をして私をにらんでいた死も、次第に私に馴れ親しみ始めたようだ。私は自分がようやく握れた死の手綱を放して二度と苦しむことがないように老耄の薄明に身をよこたえたいと思う。

 若者たちよ、諸君が見ているものは人生ではない。それは諸君の生理であり、血であり、増殖する細胞なのだ。諸君は増殖する細胞を失った老人にとって死は夢の続きであり、望みうる唯一の生かもしれないと一度でも思ったことがあるだろうか。若者よ、諸君は私に関係がなく、私は諸君に関係がない。私と諸君との間には言葉すら不要なのだ。》

                               (昭和三十六年六月)

◎(これを書いた森於莵が解剖学者として養老孟司の師/センセイのさらに師匠にあたることと、

林太郎鴎外の長男であることを若い人たちのために付け加えておきます)