(タイトルなし)
随分昔のことになる。ぼくがまだ30歳になるかならないかの頃だ。
表参道の原宿駅寄りだったか同潤会アパートの前あたりだったかはハッキリしないが、
夜遅く少し酔って歩く僕の眼にひとりの若い易者が映った。
碧さの断片をどこかに残したその卜占家はまだ35歳ほどだっただろうとおもう。
狷介な感じと学究的な物が柔らかさの中に不思議なバランスで一緒になっていた。
ふと興を覚え 普段なら通りすぎるところだがその夜は違った。
小椅子に座った僕の貌を凝ッと見た後で手相を簡単に見てからこう云った。
「欲しいものは何でも手にはいるでしょ、、う、。、、、知ってるんでしょ」
「、、、、。」
「今夜はどうしてここに座ったのですか。」
「、、いや、、何になったらいいかと思って、、、」
「、、、芸術家になるしかありません。」
「芸術家になりたくないとしたら、、」
「そのために“反芸術”とかあるんでしょう、、 」
「 、、、有り難う」。
反芸術などという言葉を易者の口から聴くとは、、、、
あれから四半世紀ほどの歳月が流れた今でも、何故あの狷介そうで瑞々しい易者はあの時
「欲しいものは何でも手にはいるでしょう」などと云ったのか、
時々不思議に懐かしい感覚と一緒に思いだす。
本当のことだから不思議なのだ。