Susan Sontag / 修道院の食卓

昨年の暮れも押し詰まった12月28日、ソンタグが死んだ。

才気活発な 僕にとっての「お転婆スーザン」は享年71歳だった。

彼女は老いすぎることは望まなかったろうし、早すぎもしなかっただろう、、、 そう想いたい。

心から冥福を祈る。

形は異なっても“松明”を受け継ぐ覚悟はできている。

さようなら 本当にありがとう。

  Susan Sontag 1933-2004

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チグリス・ユーフラテス河畔を進撃する米戦車の映像に 

我々は「超バベルの塔」を築きつつある事を知らされる・・・2003408

一枚の写真の中でスーザン・ソンタグが静止している。

唇はやや硬めに結ばれ 自然な微笑と呼ぶにはどこかぎこちない印象を与える美貌 しかし眼は少し笑っているようにも見える。

彼女は煙草を手にしている。

だが場面全体をどこか不自然にしている最大の理由は この火の点いていない煙草だろう。何故そんな物を持っているのか。

後の壁にはまるで聖母子像のように 線路上を蒸気機関車と併走するタイプライターの古いポスターが掛けられている。

大戦前のオリベッティ社のものだ。

大量の本やメモ 新聞 電話を載せ 彼女の前に置かれているのは 18世紀の修道院で使用されていた細く長い食堂の大机。または同じタイプのレプリカだ。だが 脚の轆轤細工が妙にくどいところを見ると修道院仕様ではないかもしれない・・・

 

 ◎彼女には 手放しでセンスが良いとは云えないところがある。

 

 ◎古典になった“キャンプ趣味”こそバロックと呼ばれるもの。

1980年にでたジル・クレメンツの写真集『The Writer's Image 』の中でソンタグはそれが写された1975年のままでいる。

若々しい42歳の彼女。

あのピークとも云える優れた作品『土星の徴しの下で』を書く少し前だ。

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『反解釈』『ラディカルな意志のスタイル』の時代から僕は ソンタグの優秀な生徒であり読者だった。

それは近年の『エイズとその隠喩』

アルトーへのアプローチ』まで30年に渉った。

 (そして何故かその二冊しかいま僕の手許にはない 殆どの本を買った筈なのに・・『写真論』も『土星の徴し・・』もない・・・)

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ところが 911の時の文章 或いはそれに遡る事 約二年 朝日新聞大江健三郎と往復書簡を交わした辺りから 何かうっすらとした 齟齬とは呼べないまでも 違和の感覚が生まれていたのだ。

だから 2001年に出た新しい小説『火山に恋して』を読みたいとは思えなかった・・・

しかし今日 僕は ハッキリ分かった。

自分が 東洋人として死ぬための

「道」を着実に準備し 

 確実に歩み始めたことを。

死と老いの問題は 恐らく「東洋」と「砂漠」に思想の優位性があるだろう。

もう ホワイト・ショービニストたる お転婆スーザンに教わるわけにはいかない(笑)。

結局 ソンタグは自らに巣くう白人優位主義/イスラエルを自覚できなかったし

当然 語の本質的な意味での「賢者」にはなり得なかった。

むしろ 

彼女の敵たる100歳のレニ・リーフェンシュータールにこそ 

生命の神秘と生きる哀しみへの 

敬虔な祷りのようなものを感じるようになった・・・

ソンタグの煌びやかな才能は 若さと不可分のものだったようだ……

そろそろ さようならを云おう。 

有り難う 随分励まされたよ。

そう

僕には僕の机が必要だし 今それに向かっている。

日系アメリカ人の作った小さな机だ。

それに“老荘机”と名前を付けた。

叡智への祷りと東洋への信頼を 籠めて そう名付けた。

       さ・よ・う・な・ら ソ・ン・タ・グ

             心から「健康」を祈ります。

しかし、これだけは云っておこう。

 

アメリカ人は 西洋でもアフリカでもアラブでも東洋でもない 

化け物のような「国家/地帯/意識」を創ってしまった。

その最大の特徴は「非/叛・歴史性」と呼ぶべき肉体/現実/実用/主義だ。

そして今や

更にその「悪癖」を 世界中に拡めようとしている。

21世紀の人類が 真に戦わなければならないのは

癌でも エイズでもない。

       【狂気】だ。

  【人類を覆い尽くしている狂気だ】。

僕は それが アメリカを培養器として生まれたと見ている。