大藪春彦 『汚れた英雄』か『穢れた英雄』か

ご存じのように「汚れた」は「けがれた」とも読む。

だから『汚れた英雄』を「ケガレタエイユウ」と発語する人もいる。

多分 その読み方の方が正しいだろうし意味が深い。

戦争と戦後の焼け跡で 日本人は肉体や衣服が汚れていただけでなく、精神や魂までも穢れきっている・・・・

1958年『野獣死すべし』で文壇デビューした若き大藪春彦には 敗戦後の日本と日本人がそう見え そう感受されていたはずだ。

大藪春彦は戦後の欺瞞を徹底した暴力性と物質性で暴こうとした作家である。

民主主義を全く信じようとしない作家が小説を書けば大藪春彦ボリス・ヴィアンになるしかないだろう。

彼・大藪春彦がいなければ大江健三郎五木寛之片岡義男

もちろん村上龍村上春樹もあり得なかった そう思えてならない。

或いは『平凡パンチ』も『POPEYE』も『MONOマガジン』も違う形になっていたかもしれない。

 

ということは【関心空間】ですら源流を辿っていけば 大藪春彦にぶつかるはずだ というのが僕の説(笑)

唐突に感じる人のために少し説明すると、それまで車種名や銃器の精確な名称や腕時計や英国製やイタリア製の自動車部品を事細かく描写する日本人作家は皆無だった。

なにしろ雪月花と花鳥風月、フニャケタ恋愛と私小説、もしくはプロレタリア文学の国だったのだ(笑)。

(マニアックといわれる《新青年》系の作家、久生十蘭夢野久作ですらモノの固有名詞は殆ど使っていない事に留意して欲しい)

相手に強いダメージを与える為に「ロレックス」の「オイスターパーペチュアル」をナックルに巻き直して殴る、というような描写をした作家はそれまでの日本には存在しなかった。

疾駆するクルマは「ツインチョークウェーバー」に換装してありタイヤは・・・・

大江健三郎は若い頃のエッセイで 音楽評論家「福田一郎」のカタカナを多用する文章/文体に影響を受け、勉強のため書き写すことまでしたと書いている。

若い時の大江が同じ年に生れ作家として先行した大藪春彦の小説を読んでいないはずがない。しかし、単なる同業者である以上に「戦後民主主義」を否定するかの如き暴力小説を低俗な週刊誌に書き続ける大藪の小説に影響を受けたと「正直」に書ける筈がない。

ああ『兇銃ワルサーP38』『兇銃ルーガー08』『ウィンチェスターM70』・・・・

「半島帰りの革命家」を最初に見つけ雑誌『宝石』に迷わず掲載したのは他ならぬ 江戸川亂歩であった。