●Jim Clark 1936-1968

心震わせたフライング・スコッツ

32歳のジム・クラークが西独ホッケンハイムのサーキットで死んだことを知った時 

 僕の永すぎた幼年期は終わった。

 そろそろ「政治」の季節を迎えつつあった 

 僕の‘世界’は 

 その時を境に モータースポーツとも

 レーシングカーという言葉とも 

 切れた。 

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その後の僕にとっては アイルトン・セナですら

一流半のレーシングドライバーでしかなかった。

ましてや「広告看板」をボディ一杯に着けたF1なんて

無様な「走るチンドン屋」「地を這う広告塔」でしかなかった。

丁度その後くらいから この国でも 

猫も杓子も餓鬼も親爺もクルマだクルマだスポーツカーだ

スーパーカーだエフワンだと 言いだしたから 

足を洗うには 丁度良い頃だった。

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競技用車輌がそれぞれの

ナショナル・レーシング・カラーとカーナンバーだけを纏い

直向きに走っていた時代こそ 

僕の純血かつ純粋なFormula 1の世界だ。

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僕は今でも時々Lotus Sevenの簡素極まるカタログを

懐かしく想い出す そして少年の日々を

「清潔で簡素な夢」と共に送ったことを 誇りに思う。