『日夏耿之介宛書簡集ー学匠詩人の交友圏』

拝復、 

拙詩幸ひにして大兄の愛読を得、小生の悦びこれにまさるものはありません。御言葉の如く、小生としても大兄を以て唯一の知己と考へるもの、昔「轉身」の頃より、貴詩のエプスリ(ママ)を理解することに於て、詩壇中小生最も大兄に親身の愛を感じ得るものと自信して居る次第です。近来御健康すぐれず、御病態由承り、前々より心ひそかに憂へ居りましたが、御手紙を見て一層寂しい思いを致しました。人生もとより孤独、語るべき友あることなし。大兄にして有らずば、何を以て独りよく耐え、この無限の寂寥に永らふべき。くれぐれも御養生の上、一日も早く・・・・

・・・少し御気分のよろしき日もあらば、重ねて御訪ね致したく、久々にての快談、楽しみにして居ります。

                    敬具

                 萩原朔太郎

日夏耿之介

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昭和9年6月10日の消印 封書。

 

黄眠 日夏耿之介はこの年44歳。「猫町」の詩人は四歳年上の48歳である。

昭和13年5月の手紙では

50歳を過ぎた朔太郎が 

「小生も長らく独身生活をつづけましたが、思ふことあって遂に結婚致しました。二十七歳になる娘で、まるで自分の子供のやうなものです。」

と やや嬉しそうに遅い結婚を「詩兄」に報告している。

萩原朔太郎 残すところあと僅か四年。

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偶々 朔太郎からの手紙を引用したが アイウエオ順に編まれ 會津八一から吉田健一まで 昭和という時代の文学者と藝術家の素顔をじっくりと見ることのできる 謂わば宝庫である。

何通もある小堀杏奴の愚痴混じりの手紙は 意外な面が垣間見えて面白かった。(森茉莉の親しみの籠もったもの さらには森於菟の書簡もあったから森家の兄妹とはかなり親しかったことが窺える)

會津八一の「絵手紙」や 長谷川潔の長文の手紙など も 或いは若き日の誰それ彼それなど 本当に興味の尽きない本。

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 (索引がないのは 畫龍点睛を欠いていて 惜しむ。)

    

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↓ 日夏耿之介の詩と解釈をお愉しみ下さい。