“ NOLI ME TANGERE ”/ Georges Rouault

まだ大変若く 青臭かった頃 

十代のおわり

腕時計を捨てた 左手の空虚さを

何かで 補おうと 銀のBRACELETを誂えた。

プレートの裏側に 刻む 言葉を

ギリシャ語の 辞書から

拾った。

訳すと 『我に触るな』。

随分 狷介な言葉を撰んだモノだと 今では 思うが

それが若さなのだろう

致し方ないし 寧ろ微笑ましい。

同じ言葉を 

ルオーが『メルキュール・ド・フランス』誌に1910年

発表した《セザンヌ論》のタイトルに使ったと

あとで知った時は 少し と言うよりかなり驚いた。

ルオーはセザンヌの言葉として 彼に仮託して こう書く。

「私に近づいてはいけない。私に触れてはいけない。

 私は世の人の知らぬ 世の人の理解せぬ美の世界を持っている……。」

「近づいてはいけない。私は人々の恐れる そしてまた人びとを恐れる臆病者なのだ。世を遠く離れて 私は自分の魂の絶対を目ざして渾身の努力を注ぐ喜びを知った。それはささやかなものであった。私の芸術は手段であって目的ではない。・・・・・」

まるで会った事なんか無いのに セザンヌの言葉としてルオーは書いた。

オマージュでもある美しい獨言として。

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“ルオー/セザンヌの言葉”を知るだいぶ前に 

ボクは一枚の小さな 本当に小さなルオーの銅版画を手に入れていた。

‘ユビュ伯父の再生’シリーズの

 「劇場の支配人」ed.210 1955刊

  gR 1929 の版上サイン

余り気に染まない 額に入っていたから

注文でVILLONの額を奢ることにした。

月桂樹だったか オリーブの木を用いたそれは

流石に 簡素で素晴らしい額に仕上がっていた。

オブジェ 或いは 一個の呪物の成立。

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ボクは 今でも時々 壁に掛けられた その額に

 朝 

「先生 おはよう御座います!」

と声を掛ける。

小林秀雄の真似である(笑。

(彼奴の持っていたルオーは立派な奴だった。)

豪奢なルオーも好いが 剛毅なRouaultの魂には簡素が似合う。

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左のおじさんが〈劇場の支配人〉これはボクのより大きい版画。