Days of BOOKS and BOOZE Ⅱ.

 中井久夫集 1『働く患者』

     残してあった最終章「精神科医としての神谷美恵子さんについて」

     読み終え

   幾つか思わぬ発見がある

            ながいあいだ

    神谷美恵子中井久夫は親しい関係だとばかり考えてきたから

      この文章はインパクトがあった

《 精神医学界の習慣からすれば「神谷美恵子先生」と書くべきである。しかし違和感がそれを妨げる。おそらくその感覚の強さの分だけこの方はふつうの精神科医でないのだろう。さりとて「小林秀雄」「加藤周一」というようにはーーーこれは「呼び捨て」ではなく「言い切り」という形の敬称であるがーーー「神谷美恵子」でもない。私の中では「神谷(美恵子)さん」がもっともおさまりがよい。

 ついに未見の方であり、数えてみれば二〇年近い先輩である方をこう呼ぶのははんはだ礼を失しているだろう。

 しかし、言い切りにできないのは、未見の方でありながら、どこかに近しさの感覚を起こさせるものがあるからだと思う。「先生」という言い方がわざとらしくよそよそしく思わせるのも、このぬくもりのようなもののためだろう。そして、精神医学の先輩という目でみられないのも、結局、その教養と見識によって広い意味での同時代人と感じさせるものがあるからだろう。それらはふつうの精神科医のものではない。》

     あるいは

  否定的なもの言いをあまりしない中井がフーコーに関してこう書いている

《 あえていうなら彼女には精神医学の世界に関する限り、出会ってよいものに出会っていないという意味で不遇の影がないでもないと私は感じる。生身の交際でなくともである。たとえば、刊行されている翻訳はいずれも彼女が著者にかなりのめり込んでいて、決して才能まかせのものではないと私は思うけれども、最後まで彼女が失望しなかった対象はマルクス・アウレリウスとジルボーグでなかったかと憶測する。フーコーあるいは構造主義への傾斜は私からみれば自己否定の方向のものであって、しかもフーコーは、神谷さんがあれだけ真剣にとりくむほどの相手でなかったように思えて惜しい。フーコーが神谷さんの役された著作について彼女の問いに「若気のいたり」と軽く受け流したことは、いつも真剣で全力投球をする彼女にとっては意外中の意外だったのではあるまいか。ウルフについても私には神谷さんに近い人のように実は思えない。軽々には言えないけれども、かなり強く、そう感じる。》

  

 『井筒俊彦英文翻訳コレクション』全7巻8冊

   につづいて

 『中井久夫著作集』全11巻も

    来るべき晩年用書架に並べることを決定

  

 ウェンディ・ブラウン『いかにして民主主義は失われていくのか』   

 遠藤正敬『「日本人」の輪郭:戸籍と無戸籍』  

 藤田尊潮『サン=テグジュペリ:イメージの連鎖の中で』       

   など読んでいる      

  藤田のサンテックスは学術書であり横書きである点や構成上  

   取っ付きは良くないが内容は極めて高度だ   

    魂をもった人間が戦時をいかに生きるか

   シモーヌ・ヴェイユとトニオが 

      あるいはマルクス・アウレリウス

        霊的に重なっていることを改めて認識できた

      繊細さを喪わない瑞々しいしい研究に敬意を表す

 

 『いかにして民主主義は失われていくのか/新自由主義の見えざる攻撃』で

    かなり力をいれて語られている

      フーコー『生政治の誕生』などを読む気になっていたから

        中井の言葉に微妙に揺れる /笑 。。

      しかし 

    それにしても

   実感として

【 民主主義の崩壊は止まるところをしらない 】。

  跳躍するがヴェブレンの「見栄と世間体が文明社会をつくった」(帯より)

    『有閑階級の理論』を補助線に用いると 

       新自由主義の攻撃性とその闇が

         クッキリと浮かび上がる

      『有閑階級の理論』は

    見栄と虚妄虚栄体面に翻弄されて生きる

       悲しくも滑稽な現代人を読み解くうえでの 

         名著中の名著 

          21世紀読書人 必読の名著である 

    きわめて乱暴に要約すれば

  無産階級が有閑階級と同じような生き方を強要され

       衒示的消費として長期Fランク教育を購入

    高学歴なルンプロがなすすべもなく「名誉・新有閑階級」として

       空腹感を抱えて生きるのが

    『デモスを解体するーーー新自由主義のステルス革命』

          時代なのだ 

   闘士 ウェンディ・ブラウンのキツイ論文を読んで 

       (可哀想だが) 上野俊哉

    『〔増補新版〕アーバン・トライバル・スタディーズ』

        副題は「パーティ、クラブ文化の社会学

     能天気すぎる(どうしようもない)甘さを痛感した

       2005年の旧版も刊行時に読んでいるが

    この一〇年の大変化に対して善良な上野は鈍感すぎるように見える 

     まだ カルスタがチヤホヤされた時代

   2005年当時だったら上野センセーは面白い人だったのに 。。。

 

  ああ そういえばウエノといえば ビッグ上野センセイ 

       カルスタを流行商品として販売し

     フェミニズム解同や総連のように脅迫に用い

         爺さんアカデミアを鎮圧した

    『婦人公論』イデオローグの偽フェミ上野千鶴子サン

      チャラチャラ高い和服着て「平等に貧しくなろう」

        なんて 金儲け用大ボラ吹いてる場合じゃないでしょう

        

   ここ一〇年 とりわけ

       2011年フクシマ以降 

         国会から村議会まで乗っ取ったあらゆる政治屋 

       高級官僚から村役場まで寄生するあらゆる公僕

           国家権力と広告屋に指図された

      テレビ屋・新聞屋 弁護士・裁判官・検事など

        権威と信頼を著しく失墜し

      化けの皮が剥がれ 汚穢鄙猥が露呈した職業は多いが

    元職を含む大学教師たちの多くも

 「無力感」あるいは逆に「出世金銭願望」による

腐臭を放っており零落した職業の例外ではないだろう

 

     精神的にも物理的にも

   第二の敗戦を迎えている

 この国から揮発蒸発 喪われてしまったありとあらゆる信頼関係

   その修復は二〇年や三〇年ではすまないだろう

     

  

 

  『死んだムラの 毀れた学校』 。。  

入退院の前後に読んだ

   『中井久夫集 1  働く患者』から

     引用したい

《 日本に大量に大学が生まれたのは戦後まもなく、高度成長以前の時期であるが、アメリカでも大不況後に大衆大学が出現している。ヨーロッパでも最近新大学が生まれつつあるが、ヨーロッパは十年来慢性不況にある。

 このプールはかなり効果的な弾力性がある。不況のために、今、就職すればあまりよい展望がもてそうになければ、その代わりに一段階上の学校に進学して、次のチャンスに賭けるという選択に傾く。しかもその間は父兄負担である。失業手当の支払いを政府はする必要がない。  

 また、教育は階級制度にかわる一つの階層組織を提供してくれる。階級制度は明白な攻撃の的となり、その維持にはかなりむき出しの権力を必要とする。むき出しの権力は社会の不安定要因であり、しばしば社会体制の脆弱性の暴露であり、まかりまちがえば体制そのものが動揺する。しかし、教育というフィルターを通った階層組織はーーー教育への機会が必ずしも十分平等でなくともーーー真正面からの攻撃を受けにくい。とくに社会の過半数がこの階層組織に関与している場合はそうである。》

 

《 教育についても事情は同じではないだろうか。戦前の大学生は一年約五万人✳︎であったらしい。戦後それは数十倍となったが、大学卒にふさわしい仕事に従事している者の数は戦前に比してそれほどふえていないといわれる。学歴も当然インフレーション的価値低下を起こす。この場合も、貨幣価値の低下を見込みながらも貯蓄せざるを得ないのと同じ事情が働く。それは、単純な損得では答えの出ない強烈な動機ーーー恐怖ーーーにもとづく「死回避行動」である。低学歴者が少数となった時、この恐怖はにわかに増大する。配偶者を得られないのではないかという恐怖すら地平線上にほの見える。

 高度成長は終わったのかも知れないが、そのバランスシートはまだ書かれていない。しかし、その中に損失として自然破壊とともに、青春期あるいは児童期の破壊を記してほしいものである。われわれは大量の緑とともに大量の青春を失ったと言えなくもない。

 なぜなら、それは第一に教育を「死回避行動」に変えてしまったから。戦後の新教育が何であろうとも、それは少なくとも「死回避行動」をめざしたものではなかった。戦前の教育でさえ同じことが言えるだろう。これは教育の内実を貧しいものにすることである。教育が「一元化」したのは、原因でなくて結果である。今日の商船大学卒業生が陸上の企業に就職するように、もし多様な教育機関が存在したとしても、単色化はさけがたいだろう。医学部のような特殊な学部でさえ、単に難関であるために挑戦する対象になりつつあり、医師になろうとする心構えの乏しい学生の存在に医学部は困惑しつつある。

 最大の問題は、学生生徒はもとより父兄も教師も教育の元来の価値を信じなくなっていることである。

 発達期は、現在の課題に応答しながら別に成長のための分をとっておかねばならない時期である。その分まで食い込むとは、それは成人になる資本/もとで をつぶしていることになる。》

 

《 高度成長の終焉とともに、潜在失業者プールをはじめ、さまざまにそれなりの社会的機能を果たしていた膨大な中・高等教育機関は、そのような意味でも「無意味化」を起こすかもしれない。惰性はなお受験競争激化、高学歴化の方向へ進むであろうが、これらの教育機関が次第に一種のサナトリウムと化してくる可能性がある。学校にカウンセラーを配置しようとする案の現実性はさておき、それはすでに現実の問題となりつつあることを示唆している。》

 

《 今日の子どもたちがいちばん恐怖を覚えているのは何だろうか。お化けでも、戦争でもないだろう。落ちこぼれだろうか。そんな程度ではあるまい。ひょっとすると精神科医計見一雄氏(『インスティテューショナリズムを超えて』星和書店)の言われるように「生きつづけてゆけない」恐怖かも知れない。精神病恐怖かもしれない。級友の一人二人が休学したことを果たして彼らは他人事と聞いているのだろうか。彼らにとっていちばん身近な安全保障感喪失の危険は、そういうことではないのか。そのために彼らは無理をする。それは時に悪循環を生む。優等生の微細非行も、それにどこかでつながっているかも知れない。》

     「ある教育の帰結」(一九七九)より

 

 

 中井久夫がこれを書いたとき 彼は四十五歳だった

 それからほぼ四〇年が経とうとしている 

 この国の惨状はさらにさらに非道くなって

 もう取り返しがつかない状態と判断した方が正直だろう

 教育のみならず社会構造そのものが臨界・過飽和点に達している

 四年制の大学総数は2015年段階で777校を超えたという

 「仕方なく高等教育制度で時間をつぶす」それが醜悪なリアルだ

 貴重な青年期の時間だけではなく 予め失敗を約束された教育投資

 病院が疾病工場であるように 学校は一層巨大な消費工場群である

 受益者負担による有料託児系保育システムによる幼稚園付属大学院

 それをソフトな監獄 有償懲役システムとよんでも間違いではない

 いまや 囚人や兵士やルンプロにもなれない純情消費投機者にすぎない

 

 

✳︎「五万人」は当時の医学部を除いた在学年数三年間の総数であると思われる

 大学生になったのは一年間に一万六千人強でしかなかった

 あの中井久夫ですら間違いを犯すことにホッとするとともに みすず書房

 校閲校正システムがすでに事実上 無機能化している事実に暗澹とする 。。。

  

 

 

 

  「不思議な工場」 。。

 

はるか昔に読んだ

 自動ドーナツ製造機械の『ゆかいなホーマーくん』

   あるいは

     二〇歳を過ぎたころ読んだ『チョコレート工場の秘密

             「工場」童話を

     ふと 連想しつつ

       巨大産業になった「廃兵院」のこと考える 。。

           ごく軽い脳梗塞

              緊急入院した脳外科病棟

            血圧220mmHg

    複数の自動点滴をうけつつ

      「ワレ直感ス!」

       急患を載せたヘリコプターが離着陸する

        現代の巨大な最新病院は

          国内から大工場が逃げ出した跡を襲った

             労働集約型と資本集約型を兼ねた

             新世紀の「大工場」である

            ラインに変わってベッドがならぶ

          なにも生産しない工場

             修理工場というよりは

               消費専用工場

            時間を 経済を 人員を 生命を

              消費あるいは濫費する

                有機的であると同時に虚無的なファクトリー

                  「アンヴァリッド

 

         脳外ER病棟もリハビリ専門病棟も

           ほとんど老人ばかり 。。

           「産業廃棄物の動態保存」

         現代の廃兵院

     疾病工場は「生製品」としての患者を除くと

   軍隊同様の徹底した階級社会である 

      それは経営幹部や理事会を別として

         医師を頂点とする闘病組織だが

           ユニフォーム等によって階級階層が厳密に区別される 

  看護師 准看護師 薬剤師 MRI/CT技師 栄養士 理学/作業療法士

                                                    etc. etc.

        給食の配膳からリハビリの実習生に至るまで 

          二〇種類ほどのさまざまなユニフォームを見た 

              もちろん

      受付や案内 掃除やベッドメイクの人も

         緻密なピラミッド/ヒエラルキーに含まれている

           たしかに

             「病院工場」はかつての大工場に匹敵する

               多くの雇用を生んでいる

              理学療法士作業療法士はもちろん

            薬剤師や管理栄養士がベッド脇まで説明に来る  

          きめ細かい「労働集約型」産業ぶり

        大量の余剰若年労働力があってこその「過度の充実」といえる

               あえて言う

         医療産業と教育産業 葬式産業は

    形あるもの はなにも生まないけれど

      「医療法人」「教育法人」「宗教法人」は 

         税法上 手厚く保護されている

       旧来の第三次産業から分離して第四次産業と呼びたいホド

             この既得権益と過度の保護により発達した 

                高度「消費蕩尽システム」

           公文式から大学院まで 病院と介護施設 葬儀埋葬関連は

                いまや日本国内の中核産業である

              巨大な泥の病院船 ニッポン丸

           「ニッポン丸 みんなで沈めば怖くない」

  

             九日間の入院中

        ヘイドン・ホワイト『歴史の喩法』

         空海コレクション3『秘密曼荼羅十住心論』上

            読み終わる

       『歴史の喩法』で学んだのは「歴史が科学と芸術の間にある」

         と19世紀以来 歴史学者は考えてきたト

           「科学のふりをしてきた文学あるいは文芸」

             その時代遅れな中途半端さが

               現在の歴史学の不評を招いていると 。。

         空海『十住心論』の面白さは別格

            直接引用される老子荘子はもちろん 

             マルクス・アウレリウス『自省録』とも共通する

               透徹した智性

             けして読みやすい文章・文体・文字ではないが

               生きてる間に全体を三回は読んで

                 ワガモノとしたい

                   そう願っている

      

 

       

      

   

   ワ・ガ・コ・ト・ニ・ア・ラ・ズ 

《 世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ 之ヲ注セズ 

  紅旗征戎吾ガ事二非ズ 》  

           おそらく

 堀田善衛の『定家明月記私抄』などを介して

   よく知られる

 藤原定家『明月記』の一節だが

 本歌は白楽天 白詩文集にある

   「紅旗破賊非吾事」

 コウキセイジュウでも 

   コウキハゾクでも

                 もはや

      隠棲 隠遁 遁世 幽居 疎開した 

        暢気な世捨て人 わがことにあらず 。。

         そーいえば

     紅旗といって脳裡に浮かぶのは

         やはり中国

       五星紅旗であり   

         党幹部や指導者を乗せる

      中華人民共和国製の最高級車両を指す

        調べると

         今や紅旗もパレード用オープントップまであり

            ロシアに空輸したりしているとか

              閑話休題

                それはそうと

         なんだかこの国が

           奇妙に「ハードボイルド」が似合う場所になった

             そう思われてならない

               それは

              村上春樹の活躍によるものではない

             日本が本当に

           汚れた卑しい国になったからだ

         悪党と馬鹿 

      狂人と白痴に満ちた国 ニッポン

         ぼくは

           この 辛辣すぎる「罵詈雑言」を

             本気で発語する

          一九六〇年代までの敗戦日本は

        それでも まだ 

     素朴と純情さを回復しつつ残した社会だった

    歌謡曲は似合っても

  ハードボイルドの背景としては無理があった

   当時のニッポンでは 

      裕次郎や小林アキラ 宍戸ジョーが精一杯  /笑。

         大藪春彦

      きわめて反俗 高等な絵空事だった

              

   しかし 今や

     AKB48の傾城

       いや宿場女郎級の白痴音楽こそ

         馬鹿のための現代吉原装置 

           下水道悪党による愚民製造音楽だ

          まるでソフビになった固茹で玉子

             シリコン製のラブドールミュージック

               充てがわれる

                卑猥で愚劣な大衆娯楽

             それに耽溺する老人を含む子どもたち

                愚昧老人 白痴青年 痴愚少年 魯鈍少女 

                  セルフイメージでは    

               善男善女の熊八グーミン朝三暮四ザル

           持て余した自意識と我欲 利己心に発狂した

             「高等御土人」による

               「一億総悪党社会」

 

       フィリップ・マーロウのような

    卑しい街をゆく高潔の騎士など

       どこを探してもいない

         いない  

           どこにもいない        

       穢れた真空とか 卑しい宇宙というものが

          もしあれば

      それは 現在のこの国であり 

         「脱真実」なこの惑星だろう

 

 

 

  「中井久夫著作集 1」『働く患者』を読んでいる

   表題作まではいかないが「現代社会に生きること」

              「現代における生きがい」

              「サラリーマン労働」の

  三編を読んだ

  とりわけ前の二本は中井が精神科医になる前 1964年の著作

  論理的で感受性に満ちた端正な文章はいまとほとんど変わらない

  が 大藪春彦の名を「中井久夫」の文中に見るとは思わなかったから

  とても新鮮 年代順に半世紀以上前の文章から読める編集は正解だ

  中井のコアな読者は「全体像」をつかむためにも読むしかない 

   それにしても半世紀でこの国の社会と蒼氓がさらに喪ったものは

  もはや言葉にできないほど巨大で深刻なものだ 

 

  中井とは直接関係ないが十代の死因のダントツ第1位は自殺であり

  「あんなオトナになんてなりたくない」が自死の最大理由だという 。。。

  卑しい街 穢れた社会が 子どもたちを殺しつづける 

  調べると十代だけでなく二十代 三十代の死亡原因トップも自殺 。。

  四十代 五十代になって自殺はようやく二位に後退する

      この国に未来があるとは考えられない

 

            

 

  

 

 

 

 Days of BOOKS and BOOZE         

 《谷川雁『無の造形』》が届いた

   無には「プラズマ」とルビが振られる

    題箋と装幀は石川九楊

     出版編集人 八木俊樹

       この

      高貴な海賊版

        「持つべき本は購う」最良の典型

          一〇年余も

          架蔵を望んでいた稀覯本

        遺憾ながら

      石神井書林からは買えなかったけれど

   「石神井書林古書目録」2010年の81号から

  解説として引用します  (2014年の94号にも記載あり)

 

《  無の造形 全2冊揃 別冊詩集付 函     谷川雁著作集 昭51  63,000

  八木俊樹により企画、編集されたもの。上下巻1059頁におよび、詳細な註、

文献解題を収めている。別冊として詩集『わが砂漠)(自筆版)を附す。著者の

承諾を得られず未刊に終わったが、編者八木の自家版として50部を「勝手に作

った」と言われるもの。奥付は元よりない。谷川雁の没後、八木も亡くなる。

装幀題字は石川九楊。月報二部付。   》

 

        さて 四〇年間をどこで過ごしていたのか

         届いた本の状態はとても良い  

          今回

     嬉しくもやや驚いた偶然がある

  前回の日記『忘れる前に 。。』へ

  《 谷川雁 や 宮澤賢治 etc.          

   彼らのことを考えつつ暮す予定だが  》

     雁と賢治を追加して

       荘子 老子 吉田兼好を削った

       何故か

    そう修正した数日後 

     この『無の造形』がヤフオクに忽然とあらわれた

       「即落」つきで

          ¥35,000

            嬉しい値段である             

    オクトモア 06.3  と 

      サマローリ カリビアンラム2016 を買ったばかり 

          残りもさまざまな酒になるはずだった  

        カポヴィッラのラムかグラッパ

          アグリコールラムやクラフトジン

            BB&Rの新ボトル etc.

              どれから

             浪費蕩尽しようか算段している

                矢先だった

             そういえば

           不思議なほど

         本と酒の値段は似ている

       普段手を出すのは 四、五千円が多い

     もう少し良いのは 一万五千から二万円

    その上のクラスになると 五万円から 。。。

       だから

    というわけでもないのだが

      酒を買い始めると 本が手薄になる

        本を買っていると 酒が買えない

           二者の両立はかなり困難だ / 笑。

          『無の造形』現物を手にして 

       ひとつだけ想像できなかったことがある

          文字の小ささだ

    この本を作ったとき 八木俊樹はまだ三〇代

       二巻本に収めるのに一所懸命だった

       老眼のことなど考えもしなかったにちがいない

 

        さあ

           次は 

         2003年に八木俊樹全文集編集委員会が刊行した

       1280頁の大冊 

    『逆説の對位法(ディアレクティーク)』を探すとしよう   

 

      

    

 

 

 忘れる前に 。。  寄生生物と地球のことなど

 晩年は 土方巽井筒俊彦

  ジョージ・ナカシマと柳宗悦 

    ボイス ゴダール 花森安治 

      谷川雁 や 宮澤賢治 etc. 

        彼らのことを考えつつ暮す予定だが

       それまで まだ時間がある 。。

 

  バリー・M・カッツ 高増春代訳 CCCメディアハウス刊

  『世界を変える「デザイン」の誕生 / シリコンバレーと工業デザインの歴史』 

  キャスリン・マコーリフ 西田美緒子訳 インターシフト刊

  『心を操る寄生生物 / 感情から文化・社会まで』  

 

   二冊とも図書館にリクエストした本

     五〇歳以降の蒐書と読書に関する基本原理を繰り返すと

      《 読むべき本は借りる 持つべき本は購う 》

        両冊は典型的な「読むべき本」であった

 

   『世界を変える「デザイン」の誕生』はシリコンバレーおよび

      パーソナルコンピュータの

       優れてコンパクトな歴史書である

         あるいは

      デザインギークにはたまらないトリビアルに満ちたマニア本

《 ハルトムット・エスリンガーはスノーホワイトへの取り組みをデザインコンペというよりも世界観の対立ととらえ、アメリカ人たちがこの問題をデザイン基準という狭い範囲でとらえているために行き詰まってしまっていると考えていた。実際には、もっとはるかに大きな問題だったのだ。

 「オリベッティにはデザイン基準などというものは存在しないが、デザイン哲学があった。ブラウンにはデザインの後ろに哲学があった。ソニーには仕事に対する哲学があった」  @139p  》  

《  ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州シュヴェービッシュ・グミュントにある、専門技術志向の強い芸術学校で教育を受けたエスリンガーは、バビロンの時代からバウハウスの合理・機能主義まで美術の基礎をしっかりと教え込まれていた。このような教育はアメリカの美術学校では極めて稀であり、アメリカの工学部のカリキュラムにももちろん含まれていない。そして最後の仕上げとして、ナチス以降のヨーロッパの冷戦構造の中でアメリカのポップカルチャーの洗礼も受けたエスリンガーは、親しみやすいコンセプトのデザインと反体制の姿勢を意識して打ち出すようになった。13歳のときにはジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』に感動し、その翌日にはバスに乗ってシュトゥットガルトにあるアメリカ軍基地まで出かけ、戦利品として「フルーツ・オブ・ザ・ルーム」のTシャツをもらって帰ってきたというエピソードもある彼である。 @140p  》

    周知のことかもしれないが

  フロッグデザインが「ドイツ連邦共和国」(Federal Repablic Of Germany )

     頭文字F R O G からできていることを知り

        微感動する / 笑。  

 20世紀のデザイン界に君臨してきたバウハウスのテーゼ「物質は夢みない」に反対の意を表明したのは「未来のデザイナーの役割は神秘的なゾーンをデザインすることだ」と述べた1990年代のエットーレ・ソットサスだった 

  この問題は

   「デザイン」の未来にとってかなり重要な命題を含んでいる

《 IDEO の最近の歴史を鑑みて、ティム・ブラウンは自身が受けた工業デザイン教育は、モノに主眼を置いていたと回想している。良いモノ、効率性が高いモノ、美しいモノ。確かにモノに終始していた。今はそれも変化し、工業デザインの未来に関して彼はこうコメントしている。

 「私たちは、確かに今でも機械というモノをデザインしているが、機械の中に住む亡霊もデザインするようになった」   @260p    》

          

    『心を操る寄生生物』

  不思議な感銘を受けた

《 研究者たちは参加者の便、わきの下、耳たぶのひだのうしろ、喉の奥、足指のあいだ、膣の内部、そのほか探針が届く限りの、あらゆる奥まった場所や隙間などから試料を採取した。それから微生物を培養し、遺伝物質をセグメントごとに分析した。さらにコンピューターを用いて分析結果から微生物相全体の規模を計算した ーー 私たちひとりひとりに住みついているウイルス、細菌、菌類、原生生物、その他すべての生物を合計した数を求めたのだ。最終的な集計の結果は一〇〇兆個を超え、人体のすべての細胞を合わせた数はそれより一桁少ない。微生物起源の遺伝物質の総量は、人間自身がもつ遺伝物質の一五〇倍にもなる。簡単に言えば、自分の九〇パーセントは、実は自分ではない。  @134p    》        

 《 自分たちの理論の適用範囲はもっと広がると確信したソーンヒルとフィンチャーは、寄生生物のホットゾーンでは性と衛生に関連する慣習に従う圧力が強まり、しきたりに逆らう人に不寛容な風潮が生まれると推論した。伝統が神聖化されて強制されることで、階層化社会が生まれる。人々は規則に従って権力に屈することに慣れ、反対意見を受け入れにくくなる。それは抑圧的な政権の樹立に適した条件だろう。  @276p  》   

《 たぶん私たち自身が、無限大の超巨大野獣に潜む生命体なのだ。私たちが宇宙と呼ぶものは、怪物のゴロゴロうなる腸につまったガスの一粒のあぶくにすぎない。だから私たちが宇宙の複雑さと目的を理解できないのは、大腸菌が人間を動かしている仕組みを想像できないのと同じであり、また大腸菌が人間の寿命と自分の寿命とを隔てる時間の広がりを理解できないのと同じことなのだ。  @286p   》

 

       これはまったく「自己内他力」とでも呼ぶべき

         「他力道」ではないか 。。

            微生物が源左のいう「親様」なのだ 

 

    先日 縁あって手に入れた柳宗悦1949年 鳥取放送局ラジオ講演

         を活版印刷にした

       鳥取民芸協会版『因幡の源左』を想う

     ほとんどの人が誤解して用いる批判形容としての「他力本願」

        都合よく子どもっぽいニッポン社会が推奨する

           努力と自力 自己責任

         それらは「自力道」はもちろん

           他力道の深遠とは何の関係もない        

       私見では

     シモーヌ・ヴェイユ後期思想の中核をなすのは

        「神秘道」であり「他力道」である

 

     それにしても

  この二冊が持っている明晰さと怜悧な正直さは

        現在の

   日本の科学技術者 科学ライターや学校教師たちが

     持っていない資質のように思われる

       それは

  人種環境歴史を含む

    教育システムに問題があるのか

      地政学および微生物問題なのか

        全体性なのか

   2011年3月11日以降

      この国の

     ほとんどの科学者とジャーナリストは

          単なる「社畜」として

        隠蔽を恥じない

     「虚偽の培養器」

   悪辣な政府権力の広報担当であることが実証されてしまった 。。。。

    

      

    

 

 

憂き我をさびしがらせよ 

夜は雷鳴に睡り

  朝は郭公に目醒める

    (それは一万年年前と変わらぬ響き)

      閑古閑古の啼き声を聴きながら

 「井筒俊彦英文著作翻訳コレクション」第一回配本

    古勝隆一 訳『老子道徳経』読む 。。

      (二千五百年前よりの伝言)

        何度読んでも荘子老子はその度に 

          異貌を顕す

      今日は第五章

       「天地不仁 以萬物為芻狗 聖人不仁 以百姓為芻狗」

    《 天と地は、仁ではない。それらは万物を藁の犬のように遇する。

                    聖人は仁ではない。かの人は人々を藁の犬のように遇する。》 

 

               不仁と芻狗に

                   とりわけ

                  感興をおぼえる 

                 天地も聖人も仁ではないトハ

                いわば 

               孔子儒教への批判を内包する

             それが心に沁みる

           放射能汚染が拡がり 聖人はおろか

         賢人もいないこの国で

        わらの犬以下の扱いを受けている

          テレビ漬けの犬ならぬ

            この国の 

             水狗のごとき蒼氓

              自ら望んで騙されつづける

                自虐的な二重三重の奴隷の群れ

                 社畜国畜の無思慮な民草を憐れむゆえか

                   。。。

              そういえば

                外仁斎と号した時期がある

                  印が先か斎号がさきか

                判然としないが

             銀座鳩居堂に「外仁」と彫られた陶製の印があり 

           ともに摘みが狛犬

         同じ作者の手になる

       老荘的な「虎が人を襲う」図の遊印もあり

                                  巨大な妖怪にもみえる縞模様の猛獣

          その捻くれた諧謔的な趣味に波長が合い

            画室印のつもりで押していた時期がある

          それにしても

       鳩居堂に何故 その小さな陶印があり 

     あの広い店内で偶然 目に触れ 二つを購入したのか  

       「偶然こそ神聖である」

          とは色川武大さんの言葉だったが

            この世は不思議なことに満ちている 。。

      

 

      

 

        「 憂き我をさびしがらせよ閑古鳥 」芭蕉